2014年06月15日

再開直後の日露間郵便

TSURUGA.JPG日露戦争が終結して日露間の郵便が制限付きながら再開された初期のロシアはがきです。邦人旅行者がウラジオストクに安着したことを知らせています。

日露間の郵便は、戦争が始まった1904(明治37)年2月にシベリア経由欧州宛て郵便と共に断絶します。ポーツマス講和条約が05年9月締結、10月に発効しますが、郵便はただちには再開されませんでした。

06(明治39)年3月に敦賀・小樽とウラジオストクを結ぶ大家商船の日本海航路が再開されました。これに伴って7月3日からウラジオストク周辺とオホーツク海沿岸に限り郵便が通じるようになります。6月末に再開されたロシア東亜汽船便にも搭載されました。

ロシア全土宛ては翌07年5月から、シベリア鉄道経由欧州宛ては07年9月から、そしてシベリア鉄道経由南米宛てが08年4月に開通し、ようやく戦前と同様に復旧しました。遅れたのは戦争をきっかけに起きたロシアの革命運動による混乱が原因と見られます。

このはがきは帝政ロシアの内国用はがきに1コペーク紋章切手を加貼りしてU.P.U.料金4コペークとし、ウラジオストク局でロシア暦06年8月18日(日本の明治39年8月31日)に引き受けています。再開から2ヵ月足らずの初期使用例です。

敦賀まで運んだのは大家商船の鳳山丸か東亜汽船のモンゴリア号だったか、これだけでは判定できません。9月2日に敦賀局で中継印として欧文TSURUGA印を押し、翌3日に愛知県内海局で配達されました。発信から到着まで非常に効率的な逓送です。

外国郵便というのに、はがきの宛名が日本語だけで書かれています。下部中央に「日本行き」を表すロシア語の紫色印が押されているだけです。ウラジオストク局に直接投函されず、再開されたばかりの日本居留民会で受け付け、仕分けたことを示唆しています。
posted by GANさん at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア極東 | 更新情報をチェックする
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