2014年06月17日

満州国料金の日中貼替便

撫順.JPG富士鹿4銭切手を貼り、1932(昭和7)年に満洲の日本撫順局から上海に宛てたカバーです。一見してありふれた日中混貼りですが、当時は「満州国」の建国直後。まだ「満州国」内で活動を続けていた中華郵政の局と交換しており、一筋縄ではいかない背景を抱えています。

「満州国」郵政当局は建国宣言から1ヵ月後の32年4月1日に国内の中華郵政の接収を宣言しました。しかし、実際には施設も職員も郵便切手も郵便印もそのままで中華郵政が運営を続けました。「満州国」側に郵便経営の用意も実力もなく、書類上だけの接収に終わったためです。

たまたま中華郵政はその直後に2度にわたって料金を改定しました。書状料金では、5月1日に従来の4分を一挙に6分に上げ、高すぎるとされて5月20日に5分に下げたのです。しかし、「満州国」郵政はいずれにも追随せず、4分レートを維持しました。

このため同じ中華郵政なのに、中国本土から東北3省(「満州国」)宛て料金は5分で、逆方向の「満州国」から中国本土宛ては4分という料金相違が起きました。中華郵政当局はこれを東北3省だけのローカル・ルールとして「黙認」したようです。

ところで、「満州国」は中国が外国と締結した条約・協定類の順守を表明していました。そのため、1923(大正12)年の日中郵便協定も「満州国」内の満鉄沿線日本局に適用されます。中国本土宛て郵便には貼り替えが必要となる事情も変わりません。

これらの結果、在満日本局発中国宛て郵便物には中華郵政料金ではなく、「満州国」料金による貼り替えが行われました。これは中華郵政が「満州国」郵政を否認して東北3省から撤退する32年7月24日までの3ヵ月足らず続きました。以後は4分では「料金不足」扱いとされ、不足分の倍額が宛先で徴収されています。

このカバーの富士鹿4銭切手は「満州国」だけの中国宛て料金である4分に対応した額です。5月11日に撫順日本局で引き受け、協定による交換局である奉天日本局に送りました。奉天局で中国帆船切手4分に貼り替え、翌日、中華郵政の瀋陽局に渡しています。

瀋陽局は民国21(1932=昭和7)年5月12日の中華郵政印で引き受け、京奉鉄道(北京-山海関-奉天)により逓送しました。上海では無事に配達されたようで、不足料金が請求された形跡は見えません。
posted by GANさん at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日中郵便交換 | 更新情報をチェックする
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