2014年06月21日

上海で配達の和文電報

SHAN-TELEG.jpg昭和初期に日本の上海電信局が配達した電報送達紙です。

在中国日本局は1922(大正11)年末限りで全廃されます。しかし、上海、芝罘、青島局は、郵便局を「電信局」に改定して残留を続けました。

とくに上海には日本側が保持する長崎-上海間海底電線ケーブルが陸揚げされていました。この管理、運営のためにも局所の存続が必要でした。

残留した3電信局で取り扱う電信は、日本本土とやりとりする和文電報(官報は欧文も可能)に限られていたようです。実質的に在留邦人の利用に限定することで、中国の通信権をなるべく損なわずに日本のインフラを維持する妥協策だったと思われます。

この電報は上海電信局で昭和5(1930)年10月9日午後3時35分に受信しています。勤務先から「母親が危篤なので、予定していた香港には行かずに上海から日本へ引き返してもよい」との趣旨の急報のようです。

東京・京橋局を午前8時23分の発信なので、7時間あまりで上海に届いています。もし中国局経由だと、欧文に直して発信するか、あるいは数字による換字法で全文漢字に置き換えなければならず、大変な手間だったでしょう。やはり日本電信局は便利な存在だったと言えます。

上海電信局(旧上海日本局)は、蘇州河が黄浦江にそそぐ河口北側の呉淞路交差点にありました。日本人街の中心部です。電報の宛て先「ワンル路」は地図上で不明でしたが、電信局と同じ共同租界の配達範囲内にあったのでしょう。

廃止前の在中国局では、電信用にA欄局名、C欄「支那」という形式の日付印を使っていました。この送達紙の右下部に押されている日付印はC欄「電信局」で、内地の電信専業局の日付印と同形式です。郵便局から電信局への改定に伴って日付印も変更されたと見られます。
posted by GANさん at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 電信・電話 | 更新情報をチェックする
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