2015年10月28日

満洲非戦地宛て軍事郵便

四平街3_02.jpg四平街3_01.jpgこのカバーは軍事郵便のかなり例外的な取扱実態を示す一例として、なかなか面白いと思います。最近のネットオークションで入手しました。

軍事郵便は原理的には、前線と家郷とを連絡するため戦地である外国の一部にまで内国郵便網を臨時的に拡張して行う通信です。が、それ以外にも日本軍部隊同士での軍事郵便、つまり戦地から別の戦地へという戦地間での発着例もよく目にします。では、戦地発で外国内非戦地宛てという無料軍事郵便はあり得るでしょうか。

軍事郵便法令は「条約(UPU条約など)によって取り扱う郵便物は軍事郵便としない」と定めていました。日露戦争当時の例で、高級将校や外国観戦武官が野戦局経由で欧米に出した郵便がよく知られています。しかし、これらはすべて有料の普通郵便でした。小判や菊切手で外国料金が支払われています。

宛先がイギリスやフランスなどなら「完全な外国」なのでUPU条約が適用され、軍事郵便ではなく普通郵便となるのは当然です。しかし、中国や「満洲国」のように個別の郵便交換条約や協定を結んでいる「特殊な外国」との間ではどうでしょう。日本はこれら2国宛ての郵便に限っては外国料金でなく内国料金を適用していたからです。

中国や満洲国に派遣された日本軍兵士が相手国の戦地ではない、つまり日本軍がいない地域に宛て無料軍事郵便を出すことはできたか。それとも、これも「条約により扱う郵便物」として有料、つまり内国料金を支払うべきだったのでしょうか。

実は、これについての明確な規定は見当たりません。日本軍兵士が野戦局の受持地区内や日本の在外局のある都市に宛てて郵便を出すことはあっても、中国、満洲局しかないような田舎に宛てることは実際にはない、と考えられていたからだと思います。確かに、どういう場合か考えると、かなりなレアケースです。

さて、このカバーを見てみましょう。裏面書き込みによると、満洲国斉斉哈爾(チチハル)に駐屯した騎兵第1旅団の司令部員が昭和8(1933)年5月8日に同じ黒竜江省内にある景星県公署の日系高級官僚に宛てています。引受局は四平街局第3分室(斉斉哈爾)です。役所宛てですが「公用」指定はなく、私用便です。

四平街3.jpg斉斉哈爾.jpg富拉爾基.jpg斉斉哈爾の野戦局(分室)は取扱いにさんざん迷ったようで、引受けて15日も経った5月23日になって地元の斉斉哈爾郵局に引き渡しています。
  四平街局第3分室    斉々哈爾局      富拉爾基局
さらに3日後の5月26日に北満鉄路(旧中東鉄道)沿線の富拉爾基(フラルキ)郵局が中継し、景星郵局で配達されたようです。

地図で見ると、斉斉哈爾-富拉爾基間は3、4キロ、富拉爾基-景星間は5、6キロといった距離でしょうか。確かに、景星周辺に日本系の局は影も形もありません。

このカバーに見る限り、日本野戦局と満洲国郵局との間で郵便交換が行われ、満洲国郵政が実際に逓送、配達をしています。いったい、満洲国側に外国軍隊である日本軍の軍事郵便など無料で引き受ける根拠や義務などはあったのでしょうか。--長くなり過ぎました。この考察はまた別の機会にしてみようと思います。
posted by GANさん at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事郵便(陸軍) | 更新情報をチェックする
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