2015年11月25日

振り仮名なく南方に届かず

BANDOENG-1.jpgBANDOENG-2.jpg終戦直前の1945(昭和20)年に日本軍占領下のジャワ・バンドンに宛てた普通郵便です。内国と同額の10銭料金は適正なのですが、差出人に戻されてしまっています。アドレスの漢字に「振り仮名がない」というのが返戻の理由。結局この封書が名宛人に届くことはありませんでした。

南方地図10銭を貼って東京・滝野川から昭和20(1945)年4月12日に発信されています。宛先のバンドン工業大学(工科大学)は現在も国立大学として存続しているようですが、「インドネシア独立の父」とされるスカルノ初代大統領も学んだ名門です。受取人はそこに派遣された教員だったのかも知れません。

ところが、差出人は内国郵便と同じ宛名の書き方に安心したためか、うっかり「爪哇(ジャワ)」「工業大学」や受取人名に読み仮名を付けるのを忘れていました。確かに、2年半前から実施された南方占領地との間の郵便では、アドレス表記は「仮名、漢字(振仮名附)若クハ『ローマ字』トス」と定められていました。

この規定は、現地人の郵便職員でも処理できるようにしたためと思われます。収支が償わない内国並みの低料金も、「大東亜共栄圏」という戦争のスローガンを利用者に実感させるため、いわば「身銭を切って」採用したのでしょう。元々は陸軍省が現地の南方総軍の要望を取り次いで起案し、逓信省にそのまま受け入れられました。

封筒に貼られた付箋には東京中郵外国郵便課の名で「名宛人居所氏名ニ片仮名ヲツケ符箋ヲハガシテ御出シ下サイ」とあり、引受から半月も経った4月28日のTOKYO局欧文印が押されています。貼付切手は抹消されていても有効で、振り仮名を付けて再度投函すれば受け付けられる手はずです。

既に切手に消印が押され、検閲も済んでいます。事情が分かる付箋があるならばともかく、それをはがしたら、もう一度新たに切手を貼り直さねばならないのが普通です。「振り仮名の付け忘れ」は返戻理由として薄弱で、他に例がありません。「特例」とも言えるこの扱いはそんな事情もあってのことかも知れません。

しかし、差出人はこの「再差し出し」の権利を行使せず、手紙を出すこと自体をあきらめてしまったようです。付箋がはがされないままで残っていることから分かります。敗戦まで3ヵ月半、既に南方行きの郵便ルートは事実上閉ざされてしまっていることを知っての断念だったのでしょうか。
posted by GANさん at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 南方戦区 | 更新情報をチェックする
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