2015年12月16日

「駿河・小山」という櫛型印

駿河小山.jpg静岡県の最北東端にあり、神奈川県や山梨県と境を接する駿東郡の小山局で引き受けられた1914(大正3)年、紫分銅はがきの年賀状です。局名表示はやや不鮮ですが「駿河・小山」となっています。ごく最近、ネットオークションで入手しました。

櫛型印は1906(明治39)年から1、2等局に、4年後の1910年からは3等局にも導入されました。そのさい、3等局では原則として局名の前に県名を置き、間に・(中黒=ピリオドに似るが、文字位置が中央部で底部のピリオドより高い)を入れる形式が採用されたこともよく知られています。

この小山局の櫛型印も3等局の形式を踏んでいるのですが、県名が本来あるべき「静岡」ではなく、旧国名の「駿河」となっている点でユ駿河小山-2.jpgニークです。「小山」は、栃木県にある同名の局(読み方も共に「おやま」)の方が有名です。鉄道では、静岡県側のJR駅は「駿河小山」として区別しています。局名表示もこれにならったのでしょうか。

しかし、この解釈はただちに否定されます。櫛型印で旧国名を表示した3等局は、全国でも「駿河・御殿場」と、この「駿河・小山」の2局だけしかありません(北海道の特例を除く)。小山と同じ駿東郡に属した佐野局(現在は裾野局)も栃木や大阪などに同名があるのに「静岡・佐野」であって、「駿河・佐野」の櫛型印は存在しないのです。

こうなるともう、これは「違則」というより「エラー」印としか言いようがありません。ただし、エラーとしてもなかなかのもので、櫛型印導入後、4、5年間は堂々と使い続けたようなのです。GANの収品では「駿河・御殿場」なら明治43年8月14日から大正2年5月10日まで6点のエンタイアがあります。

GANの「駿河・小山」はこの1点だけですが、これまでのデータは『消印とエンタイヤ』185号(1972年12月)に和田芳博氏が発表した「大正2年12月31日」があるだけでした。43年ぶりの第2例で、偶然にも和田氏の翌日のデータです。写真が出るのは今回が初めてです。

両局と隣接する須走局では同期間中も「静岡・須走」しか使っていない一方で、御殿場局では「静岡・御殿場」印も並行して使われた形跡があります。県名「駿河」は本当にエラーだったのか、エラーだとしたら、なぜ数年間も使い続けたのか、「駿河・御殿場」と「静岡・御殿場」は使い分けがあったのか。同じ横浜監督局管内の秦野や山北局で県名表示「相模」はないか――。ナゾの残る興味深い印影です。

追記】(2019.4.26) この記事を書いているさい、櫛型「相模・秦野」の使用例も見たような記憶もあったので資料をひっくり返したのですが見つかりませんでした。最近、日付印関係の別ファイルが出てきたので調べたところ、関口文雄氏が『日本フィラテリー』誌1988年4月号で報告していたことが分かりました。関口氏は「相模・秦野」の大正2年2月の郵便印と1月の為替貯金印を図示し、「(横浜局監督区で受注した)印判師がつい丸一印時代のクセで」誤刻したのではないかと推測しています。従って、本文の第4段落で旧国名表示の櫛型印は「駿河・御殿場」と「駿河・小山」の2局だけ、としたのはGANの誤りです。正しくは、「相模・秦野」を加えた3局が報告されていました。
posted by GANさん at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 静岡県駿東郡 | 更新情報をチェックする
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