2015年12月21日

タンカーからの軍艦郵便

早鞆.jpg給油艦「早鞆」の乗員が米・ロサンゼルスから発信した軍艦郵便です。12月20日に東京で開かれた大手オークションで入手した、ホヤホヤ品です。

日本海軍は軍艦を動かす重油のほとんど全部を外国に依存していました。石油会社が輸入したものを国内で購入するのではなく、自前のタンカーを産油地のアメリカ・サンペドロやボルネオのタラカンなどに運航して直接積み取ってくるのです。そのため大正10年代に多数のタンカーが建造されました。「早鞆」もその1艦です。

このはがきは羅府(ロサンゼルス)港に入泊中の「早鞆」から1938(昭和13)年4月20日前後に差し出されたようです。積み取り港のサンペドロはロスの隣で米海軍の軍港でしたが、現在はロス市に編入されています。はがきはひと足先に帰国する日本商船が横浜に運んだと考えられ、5月11日に横浜局で引き受けられています。

給油艦の重油積み取りは日本海軍の一種の「宿命」として大正末期から延々と続きました。とくに日中戦争が始まってから、給油艦はフル稼働状態となりました。石油供給元である当のアメリカ相手に一戦を交える可能性が増し、それまでに少しでも備蓄を増やさねば。間もなく「石油の一滴は血の一滴」という悲壮なスローガンが叫ばれる時代でした。

しかし、その割には給油艦の軍艦郵便は余り残されていません。軍艦郵便というと、市場に現れる9割方は練習航海のものです。実は、日米開戦直前、最後の石油積み取りの軍艦郵便を密かに探しています。太平洋戦争の郵便史を語る上でぜひほしいところなのですが、GANは未だに見たことさえありません。

給油艦の軍艦郵便が少ない理由は想像がつきます。タンカーには基本的に戦闘要員がいず、乗員の絶対数が少い。目的地に直航し、満タンになるとそのまま帰る、往復2ヵ月程度という短い航海の特性もあります。行程後半以降は郵便物より自身の帰国の方が早くなりそうで、発信はあまりしないでしょう。

さて、この「早鞆」の航海ですが、「海軍公報(部内限)」によると、軍艦郵便の取扱開始は38年3月9日に告知されています。4月18日にロスに入港し、積み取り完了後の4月23日に出港、5月8日にホノルルを出て佐世保に向かっています。この2ヵ月間ほどが軍艦郵便の実際の適用期間となると思います。
posted by GANさん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍艦郵便 | 更新情報をチェックする
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