2016年03月11日

「泰緬鉄道郵便」の真実

2月25日のブログ「珍『検閲印』4種が出現」でニセ検閲印に関連して、いわゆる「泰緬鉄道郵便」なるものがすべてニセモノだと書きました。内外の郵趣市場にかなりの量が出回っているので証拠はきりもなく、大小数十点も挙げられます。今回はそのうち「存在しない部隊」を発信アドレスとした典型的な一例をお示しします。

「泰緬鉄道郵便」なるものは、日本では土屋理義氏が日本郵趣協会の出版物で繰り返し主張している一連のカバー類です。土屋氏によると、太平洋戦争中に日本軍が泰緬鉄道を建設したさいに使役したマライやジャワなどの労務者や鉄道従業員が、鉄道沿線に開設された専用の日本軍「軍事郵便所」から有料や無料で多種類の郵便物を発受していたといいます。

鉄7連隊.jpg図示しているのは、香港のオークションハウスDynastyが2013年5月に「第2次大戦の泰緬鉄道」の題で売り立てたロットのうちの1点です。「リンテンの第2143部隊からクアラルンプル宛て、1944年6月10日キンサイヨーク軍事郵便所印押し」と土屋氏の文献に依拠した説明があります。

画像のはがき右側発信人欄の下3行に「Muri Butai 2143/Rinting/Thailand」とアドレスが書かれています。「泰国リンテン、森第2143部隊」と表現したいようです。リンテンは泰緬鉄道でキンサイヨークのビルマ寄り一つ隣の停車場です。また、「森」とは緬甸(ビルマ)方面軍を意味する符号、「第2143部隊」は鉄道第7連隊を表す部隊番号です。この部隊が問題です。

厚生省援護局編『鉄道部隊略歴』(1961年刊)によると、この鉄7連隊は昭和19(1944)年2月10日にラングーンで編成されました。「編成以後ビルマで従軍」と記されています。ビルマ戦線が崩壊した45年2月にビルマからタイに撤退していますが、泰緬鉄道関連の記述はまったくありません。

別の文献『燦たり鉄道兵の記録』(1965年、全鉄会刊行)は更に詳しく鉄7連隊の行動を記述しています。それによると、44年3月に発起されたインパール作戦で後方が手薄になるため、ビルマ鉄道防衛用に新編された部隊でした。44年5-8月はミートキーナ(ミッチナ)戦線にあって、英軍の猛攻に耐えつつミートキーナ鉄道の補修・管理に当たっていました。ミートキーナは結局、8月2日に陥落してしまいます。

要するに、真実の鉄7連隊は泰緬鉄道に関わったことは一度もありません。まして、活動したのはビルマ中北部だけなので、マライ労務者を部隊の管理下に入れた事実など全くないのです。このニセはがきの作成者は鉄道部隊を表す部隊番号というだけで安易に飛びつき、その戦歴まで検討する「細心さ」とは無関係な人だったのでしょう。

筆者はこれら「存在しない部隊」を発信アドレスとする「泰緬鉄道カバー」について、10年以上前から第5801部隊(第2鉄道監部=泰緬鉄道の建設司令部)を初め、何度も土屋氏に指摘してきました。彼は繰り返し「ホンモノ」と主張するのですが、こうした決定的な矛盾に答えたことがありません。今年2月に出した最新本でも同断です。
posted by GANさん at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 南方戦区 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック