2016年06月21日

病院船「高砂丸」の戦後

高砂丸.jpg戦後、引揚病院船として活躍した「高砂丸」の乗組み医官から発信された速達はがきです。今日到着したネットオークション落札品の同一人発着ロット60通ほどの中から出てきました。差出人は巡洋艦「愛宕」に乗り組んでいた元軍医大尉です。

戦前の高砂丸は大阪商船の内台連絡船として台湾航路で運航されていました。1941(昭和16)年11月に海軍に徴用され、聯合艦隊直属の特設病院船に改装されてフィリピン、インドネシア、ラバウル、サイパンなど南方海域で活動しました。

9,347トンという大型船でも生き延びられたのは、敵国側にも通告される非武装・非軍用の病院専用船だったからです。米潜の誤認で魚雷攻撃されながら致命傷は免れたこともあります。

敗戦後は海軍省を引き継いだ第2復員省に復員用の「特別輸送船」としてチャーターされました。1949年までは中国から、その後はソ連からの復員傷病兵の収容に当たったようです。特別輸送船の病院船は他には有名な「氷川丸」と「菊丸」の2隻しかありませんでした。

このはがきは日付印が不鮮明ですが、佐世保局で昭和21(1946)年7月15日に引き受けられています。紫色の印色がいかにも物資欠乏の戦後時代を表しているように見えます。第2種(はがき)5銭料金としては最末期の使用例で、この10日後からは戦後大インフレによって郵便料金が一挙3倍に値上げされています。

アドレスの肩書き「佐世保局気付」は戦争中の軍事郵便と同じです。佐世保が中国・上海方面との間の特別輸送艦船の母港として戦前に引き続き利用されていたことを示唆しています。軍事郵便と大きく異なるのは、検閲印がなく、禁じられていた「病院船」「医官」などの船種、身分の表示が見られることです。

その後の高砂丸は不運の道をたどりました。1951年ごろまでに特別輸送船の役目を終えて大阪商船に戻りましたが、主要航路には復帰できません。石炭を燃料とする蒸気タービン動力なので運用が困難だったためです。最終的に1956年に売却され、スクラップとして解体されてしまいました。
posted by GANさん at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 第2次大戦混乱期 | 更新情報をチェックする
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