2016年08月29日

哈爾賓BRANCHって何?

HARBIN-3.jpg数十年前に入手した「私白」(収集用として官製はがき印面部に日付印を押印した「官白」に対し、私製はがきに押印したものを便宜的に呼びます)です。「HARBIN」はいいとしても、下部C欄の「BRANCH」とは、いったい何でしょう。

素直に読めば、1932(昭和)年2月15日の「哈爾賓局支局」ですが、日本郵便史上そのような局所が存在した事実はありません。この時期には日本哈爾賓局など開設されていず、当然、その「支局」もあり得ません。

秘密局として有名な長春局哈爾賓出張所やシベリア出兵時の臨時哈爾賓局も確かにあります。臨時哈爾賓局には新市街出張所も開設されました。しかし、そこで欧文印を使ったとしたら、C欄は「I.J.P.A.」でなければなりません。いずれにせよ、これらは明治・大正期の話です。

実はこの「私白」は、鉄道郵便など郵便印の研究で高名な植野良一氏(故人)のコレクションでした。古く、『消印とエンタイヤ』第61号(1952年)に印影が発表されています。以来60年以上が経ちますが関連続報はなく、正体が解明されないままの、いわば「ナゾの印影」だったのです。

そもそもこれはエンタイアではなく、1例しか知られていない「私白」に過ぎません。日本郵便機関で使われた真正の日付印である保証はないのです。例の「泰緬鉄道郵便」の日付印同様、空中楼閣的なニセモノ印である可能性を十分考える必要があります。いったいこれはホンモノか、偽造印なのか--。

長年の疑問を解決しそうなヒントが、ごく最近現れました。これとまったく同じ、第2例となる印を旧楠公はがきに押した官白が、8月半ばのネットオークションに出品されたのです(GANも参戦し、こてんぱんに敗れました)。はがきを包んだパラフィン紙に「ハルピン軍事郵便取扱所」と説明がありました。達者な万年筆書きです。特徴が強かった、あの植野氏の筆跡ではありません。

「哈爾賓軍事郵便取扱所」だったら、GANには心当たりがあります。満州事変の最初期から開設されていた俗称「哈爾賓野戦局」のことです。「満洲国」が建国される以前なので「軍事郵便取扱所」という正式名は表に出さず、秘匿名の「長春局第2分室」を使って軍事郵便のほか哈爾賓在留日本人の郵便も有料で取り扱いました。

新京第2-2.jpg開設されたのは1932年2月9日ですが、その後10ヵ月間は独自の日付印を持ちませんでした。郵便引受けには、哈爾賓からずっと離れた本局・長春局印を流用しました。

独自印の導入は、長春が「新京」と改称された後の32年12月になってからのことです。櫛型上部のA欄に「新京」、D欄(櫛型部)に第2分室を意味する「2」が表示されました。右図は民間人がこの「哈爾賓野戦局」から普通便として発信したはがきで、新京局第2分室印が押されています。

もし、「哈爾賓所在の長春局分室」が開設直後に欧文印を調製したとしたら、局名表記をどうするか。「CHANGCHUN/BRANCH」も検討されたでしょうが、これだと第1(吉林)、第3(所在地不明)、第4(敦化)などほかの分室と区別できません。

結局、この「HARBIN/BRANCH」が適当、とされたのではないでしょうか。本局である長春局の表示は棄て、単に「哈爾賓分室」と表現した、というわけです。BRANCHは支局、分局、出張所などと同様、分室を表すにも使われるようです。

それでも、かなり本質的な問題が残ります。いったい「哈爾賓野戦局」などが国際郵便を取り扱ったものでしょうか。しかも専用の欧文印が必要なほど大量に、とは。これら分室が引き受けた国際郵便は、まだ存在が知られていません。この点については、さらに新資料を発掘しなければなりません。当面は「HARBIN/BRANCH=長春局第2分室」説を提案します。
posted by GANさん at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 郵便印 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック