2016年10月30日

民政直後ヤップ局臨時印

YAP.jpg近着の南洋群島ヤップ発信の絵はがきです。9月の関西のメールオークションで入手しました。田沢1.5銭を貼り、ヤップ局大正11(1922)年6月25日の日付印で引き受けられています。発信者は東京からヤップ島に出張した逓信省職員のようです。

この日付印は、本来なら「郵便局」と入るべきC欄とその直上のE欄櫛歯が欠けています。たまたま写りが悪かったのでしょうか。いいえ、印影下部の円形外郭線と日付部桁線は極めて明瞭です。下部印体(C・E欄)が挿入されないままで押印したことが想定できます。

南洋群島は第1次大戦期までドイツの植民地でした。大戦初期に日本海軍が南遣枝隊を派遣して占領し、戦後発足した国際連盟によって日本の委任統治領に指定されました。正式に日本領となったので軍政は終わり、1922年4月1日から民政に移行しました。このはがきは民政に変わってまだ3ヵ月足らずの郵便ということになります。

ところで、南洋群島の統治機関・南洋庁は日付印には時刻表示をしないことに決めました(1922年4月1日、南洋庁訓令第4号)。管内の郵便物取扱量が非常に少ないので、省力化を図ったのです。時刻表示部分(C欄)には、さして意味もない「郵便局」と変更して「穴埋め」しました。

恐らくこの変更措置を決定するのが非常に遅れたのでしょう。「郵便局」表示の下部印体の製造を遠く内地に発注し、出来上がって南洋に届くまでに3ヵ月以上掛かってしまいました。その間、各局で実際に引き受けた郵便物には、軍政時代の旧海軍軍用郵便所印をそのまま使ったり、下部を空欄のままにした日付印を間に合わせで使ったのでしょう。

荻原海一氏『南洋群島の郵便史』には、ポナペ局大正11年6月17日の海軍軍用郵便所日付印が押された分銅はがきの例が発表されています。荻原氏はこれを局員のうっかりミスと考え、「南洋庁になってから2ヵ月余り、ポナペ局は何をやっていたのだろう。」とあきれています。

そうではなく、「郵便局」の印体が間に合わないための一種の臨時印だとGANは考えます。これは民政移行直後の混乱期に発生した短期間の珍しい使用例なのです。正式な「郵便局」印がいつから使われ始めたのか、当局側の記録は見つかっていません。この年の夏から秋にかけての日付印データを今後集積することで解明できるはずだと思います。
posted by GANさん at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 植民地 | 更新情報をチェックする
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