2016年11月09日

日露戦の海軍軍事小包

小包.jpg11月6日のフロア落札品2点目です。一見してありふれた小包送票ですが、中央部に「軍事」と大きめに墨書されています。このわずか2文字が、マテリアルの「肝」です。

小包送票には菊10銭ペアが貼られ、美濃・神戸(ごうど)局の明治38(1905)年6月6日の引受印が押されています。佐世保に宛てて送られた470匁(約1.7㎏)の小包に貼られていたものです。

小包送票は普通、貼られている包装紙ごと処分されて残らないものです。この受取人はよほど几帳面な人だったのでしょうか、丁寧にはがして保存していました。おかげで、1世紀をはるかに超えた今日に伝わったのです。

なぜ「軍事」か、送票の右側2行目下部の「配達局」欄に書かれた「佐世保」が物語っています。佐世保局は日露戦争中、海軍軍事郵便の集中局であり、直接交換局でした。小包は海軍軍人に宛てた軍事小包郵便だったのに違いありません。わずかな紙切れですが、現物が残りにくい軍事小包の実在を裏付ける好資料と思います。

しかも、小包の引受日は日本聯合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃滅した日本海海戦からちょうど1週間後です。戦争の帰趨をも決する劇的な勝利に大喜びした差出人が、海軍に従軍している家族か友人に宛てて祝福と激励の心を込めた品物を送ったのではないでしょうか。

軍事小包郵便は開戦直後の1904年4月6日から取扱いが始まりました。しかし、適用されたのは内地から海軍艦船・チャーター船の乗組員宛てに限られました。陸軍宛ては内地への凱旋・帰還が始まりかける頃まで認められませんでした(一部例外はあります)。自前の船舶で輸送できる海軍だからこその特権でした。

この送票に貼られている20銭は、当時の「400匁以上600匁以下」の郵便市外小包料金に相当します。つまり、岐阜県神戸局から長崎県佐世保局の間の料金です。しかし、それから先、受取人がいる海上の艦船までの料金は、いわば「不足」の形ではないでしょうか。

これは、海軍の船舶が輸送するので海上料金は無料という理由から、海軍艦船宛ての特別料金(サーチャージ=割増金)は徴収されなかったのだとGANは考えます。一方の陸軍では満州や朝鮮の兵士宛ての軍事小包郵便がようやく05年12月から開始されましたが、内地料金より割高の日清・日韓小包料金が適用されています。
posted by GANさん at 00:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事郵便(海軍) | 更新情報をチェックする
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