2016年11月11日

山東最終部隊の軍事切手

軍事切手-1.jpg軍事切手-2.jpg第1次大戦後、中国山東省駐屯の青島守備軍の兵士が軍事切手を使って発信した封書です。11月6日のフロア落札品3点目です。

軍事切手は田沢旧毛紙広幅加刷で、青島局が大正11(1922)年11月24日に引き受けています。裏面発信アドレスの「青守歩三ノ一」は「青島守備歩兵第3大隊第1中隊」を表します。

日本は第1次大戦でドイツに宣戦し、山東省の膠州湾ドイツ租借地とドイツ資本の膠済鉄道(山東鉄道)を占領しました。ドイツ権益「横取り」が狙いです。鉄道沿線の守備と占領地の軍政のため歩兵4個大隊の兵力の青島守備軍を開設しました。

1919(大正8)年6月にベルサイユ講和条約が締結されると、逓信省は「戦争は終わった」と青島守備軍に山東での軍事郵便の廃止を求めます。守備軍とその後ろ盾の陸軍省は廃止に強く抵抗し、日露戦争後の満州などの守備隊との間で起きたときと同じ紛争が再燃しました。

軍部には初めから理がなく、結局は逓信省が押し切って無料軍事郵便は1921年3月限りで廃止されます。以後は軍事切手制度(1人毎月2枚支給)に切り替えることになりました。この切り替え時に軍事切手が届かず、現地で臨時の「青島軍事」切手が生まれた事情はよく知られています。

ところで日本の思惑は大きくはずれました。日本の山東領有に対して中国はもちろんアメリカなど連合諸国が強く反対したのです。講和会議で日本代表は孤立し、全面放棄を約束させられてしまいます。最終的には1922年2月のワシントン会議で締結された「中国に関する9ヵ国条約」で中国への返還が確定しました。

これを受け、青島守備軍は22年4月から兵力の大幅縮小を始めます。主力部隊の青島守備歩兵隊は4個大隊のうち3個大隊が5月までに解散されました。第3大隊だけ残りますが、これも22年12月15日に解散し、17日までに全兵力の撤退が完了しました。

郵便機関は部隊の撤退より少し早く、12月10日に全局が廃止されました。結局、山東地区で軍事切手が使用されたのは1年8ヵ月ほどの短期間でした。従って、この封書は最後まで残留した第3大隊の兵士が撤退の約3週間前に発信した最末期使用例となります。

一方、海軍は陸上の小部隊・臨時青島防備隊を開設していましたが、22年3月に撤退しました。防備隊にも軍事切手が交付されたはずですが、使用例の報告はありません。要員が100人単位と少ない上に使用期間が1年間しかないので、残存数は陸軍よりさらに希と思われます。
posted by GANさん at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事郵便(陸軍) | 更新情報をチェックする
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