2016年12月08日

戦地の病院船へ電報

神戸丸送達紙.jpg日露戦争中の病院船「神戸丸」に収容されていた戦傷者に宛てた電報送達紙と、それを郵送した電報送達の専用封筒です。ごく最近のネットオークションで入手し、到着したばかりです。

神戸丸は日本郵船の貨客船(2,901トン)で、1940年代の日華連絡船とは同名異船です。日露開戦直前の1904(明治37)年1月に海軍省にチャーターされました。開戦と同時にジュネーブ条約に基づく病院船として、僚船西京丸と共にロシア側に通告されています。

聯合艦隊に付属船として編入され、特務艦隊に属しました。詳細な行動記録は見当りませんが、単独で佐世保軍港と戦地との往復を繰り返していたようです。05年夏には陸軍の樺太攻略部隊輸送と支援のため編成された北遣艦隊に随伴しています。

神戸丸封.jpgこの電報ですが、明治37年11月9日に北見紋別局から発信されています。宛先アドレスは「在戦地 病院船神戸丸 第1病室」とあります。電文は「名誉ノ怪我、今ノ様子イカガ」です。発・受信者が同姓なので、親が我が子の戦傷を心配して一刻も早く症状を知ろうと打電したのかも知れません。

同日中に門司局に着信しましたが、神戸丸が門司港に入港しているわけではありません。ただちに専用封筒に「従門司郵便/電信局郵便(門司郵便電信局より郵便)」の印を押し、電信事務として「戦地」に郵送されました。

ところが、名宛人の負傷兵がこの電報を実際に手にしたのは12月11日でした。電報に本人による朱筆の書き込みがあることで分かります。この電報は神戸丸の行方を追跡して1ヵ月もかかってしまったようです。これでは電報としての用をなさず、郵便にしても結果は同じだった可能性があります。

封筒表面下部に12月10日の到着印が押されていますが、残念ながら不鮮明で局名が読めません。ただ、丸一印が使われているので、神戸丸はこの12月当時、「戦地」を後に朝鮮か内地の港湾に入港中だったと推定できます。大連や旅順など戦地の野戦局は丸二型印を使ったからです。

この電報で興味が持たれるのは、「戦地」宛て賴信を、紋別局はなぜ門司局に宛て送信したか、です。海軍関係で戦地との間の郵便なら、佐世保が交換局でした。電信の交換(中継)局は門司局と決まっていたのでしょうか。陸軍宛て電報だったら門司局は野戦局に郵送したのか。調べる余地はまだまだありそうです。
posted by GANさん at 04:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 電信・電話 | 更新情報をチェックする
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