2017年01月28日

関特演動員2師団の明暗

基.jpgE5A5A51.jpg「関特演」とは「関東軍特種演習」の略称です。独ソ戦が1941(昭和16)年7月に突発したのに便乗し、関東軍はかねてからのソ連侵攻計画を実行に移します。

兵力を倍増する大動員を行い、秘匿のため「演習」と呼びました。しかし、この作戦は独ソ戦が膠着状態に陥って、結局中止されます(2016年5月31日記事参照)。

関特演で内地から2個師団が動員され、満州に派遣されました。この2枚のはがきは動員された第51師団(宇都宮)と第57師団(弘前)の兵士が故郷に宛てて発信したものです。最近のネットオークションで入手しました。共に「満洲国」の官葉が台はがきとして使われていますが、偶然です。

左のはがきの発信アドレスは「満州基第2805部隊」とあります。「基」は「通称符」と呼ばれる一種の暗号で51師団を、また「第2805部隊」は捜索第51連隊を表します。51師団は41年8月22日に満洲国西南部の綏中に着いた後、太平洋戦争開戦準備のため9月23日に華南に向け転進しています。満州に駐屯したこのわずか1ヵ月間に発信されたことが分かります。

右のはがきのアドレス「満州奥第7221部隊」の「奥」は57師団の、「第7221部隊」は野砲兵第57連隊の意味です。この師団は黒竜江を隔てた対ソ連北正面第一線の黒河周辺に配備されました。野砲57連隊の駐屯地は山神府でした。軍事郵便には珍しく「(昭和)16.9.30」と発信日付が明記されています。

アドレスの「基第2805部隊」や「奥第7221部隊」といった表記は陸軍用語で「通称号」と呼ばれ、正式な部隊名や部隊行動を秘匿するため太平洋戦争期に全面的に使われました。その軍事郵便での使用開始がこの関特演だとGANは考えています。つまり、これらのはがきは通称号使用例の第1号なのです。

関東軍は基本的には通称符を採用せず、「満州第○○部隊」と数字2、3桁の部隊番号だけで通しました。しかし、関特演で動員した部隊に限っては、いわば例外的に通称符を使いました。部隊名秘匿の度合いを強化したつもりだったと思われます。結果的に、関東軍の実際の軍事郵便で通称符が使われている例はわずかです。

動員された両師団はその後、大きく明暗を分けます。51師団はソ連侵攻計画中止によって華南に転用され、1年後に更にラバウルに再転用されます。ニューギニア戦線に向かった直後の43年3月に「ダンピールの悲劇」と呼ばれる輸送船団壊滅(ビスマルク海海戦)で大部分が海没し、生存者も悲惨な飢餓の中で敗走を重ねて全滅状態で敗戦を迎えました。

一方の57師団各部隊は山神府、泰安など黒竜江南岸に展開して平穏な駐屯を3年半続けた後、「本土決戦部隊」として45年4月に内地に転用されました。福岡県北岸で防衛陣地構築中、無傷のまま敗戦となります。満州駐屯を続けていたら、8月のソ連軍侵攻による第一撃で全滅を免れなかったでしょう。そのわずか4ヵ月前の離脱が命拾いになりました。
posted by GANさん at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事行動 | 更新情報をチェックする
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