2017年02月25日

ラバウル海軍航空隊

204空.jpg銀翼連ねて、南の前線……などと歌っているとお年が知れてしまいますが、戦前世代にとって「ラバウル航空隊」の名はなかなかノスタルジックに響きます。このはがきはまさにその航空隊から差し出されました。ネットで落札し、今日手元に届いたばかりの新入品です。

はがきの発信アドレスは「横須賀局気付 第36海軍軍用郵便所気付 ウ105 ウ159 ④」です(漢数字は洋数字に置換)。「ウ105」はラバウルを、「ウ159」は第204海軍航空隊を表します。④は航空隊内部の区分記号でしょう。

つまり、このはがきは「在ラバウル第204航空隊第4分隊」の隊員が発信したものです。通信文面から、ラバウル進出直後の42年秋ごろに書かれたと推定されます。

「ウ」の前の2つの「気付」は郵便物を発受するために経由する郵便局名を表しています。横須賀局はラバウルを含む南東方面を受け持つ、海軍関係軍事郵便の大交換局でした。第36軍用郵便所はラバウルに開設されていました。

太平洋戦争中、ラバウルは日本海軍最大の前線航空基地でした。しかし、ラバウルを原駐基地とする航空隊は開設されていません。いくつもの航空隊が次々ラバウルに進出し、作戦ごとに出撃して消耗し、解隊されたり交替して還っていったのが実態です。「ラバウル海軍航空隊」という固有名詞の部隊は存在しませんでした。

戦争中に編成された陸海軍の航空隊は数百もあるのに、なぜ海軍の「ラバウル航空隊」ばかりが有名で、歌にまでなったのか。日本映画社のニュース映画「南海決戦場」の好反響もありますが、GANとしてはとりあえず、「歌になったから有名になった」と身も蓋もない解釈を提示しておきます。

さて、くだんの第204航空隊ですが、これは1942(昭和17)年4月に木更津で編成された零戦、「ゼロ戦」と通称される艦上戦闘機による生粋の戦闘部隊でした。ガダルカナル戦が始まったばかりの8月21日に27機で陸上のラバウルに進出、隣のブーゲンビル島ブインをも基地としました。

以後、ガ島をめぐる長期間の航空消耗戦に耐え、ブーゲンビル島攻防戦、ニューギニア・ソロモン方面での航空全面反攻作戦の「い号作戦」などに活躍します。作戦終了後の43年4月、関係部隊の慰労・激励に向かう山本五十六聯合艦隊司令長官の乗る陸攻機の護衛に当たったのも204空でした。長官の機上戦死という海軍史に残る痛恨の悲劇の当事者です。

この部隊も44年初頭まで続いたラバウル航空決戦で消耗、疲弊しきって、ついに44年3月に現地で解隊されます。零戦隊として終始ラバウルにあって米機と渡り合い、守り抜いたエース部隊でした。204空こそ灰田勝彦の大ヒット歌謡でイメージされる「ラバウル航空隊」そのものと言えます。
posted by GANさん at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事郵便(海軍) | 更新情報をチェックする
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