2017年06月24日

山縣通局欧文印で電報配達

山縣通.jpg上海発大連宛ての欧文電報です。関東州の大連山縣通局がDAIREN/YAMAGATADORI欧文印で1931(昭和6)年10月15日に配達しています。関西のメールオークションで落札し、今日届きました。

この電報は全文5行のテレックス印字のような英数字からなり、第3、4行目が本文です。4桁のアラビア数字1組で漢字1文字を表す、一種の暗号です。従って、この電文は12文字の漢字(中国語)です。今日のパソコンならIMEソフトが自動で漢字変換してくれますが、当時は膨大な厚さの換字表を繰って「解読」していました。

話には聞いていましたが、実際に漢字を送った電報というのをGANは今回初めて見ました。第1行目は発信に関する情報と思います。日本の上海電信局で受け付けたと推定しますが、発信時刻などは全く読み取れません。第2行目は宛先のはずですが、大連のどこなのでしょう。「1000」だけで住所・氏名を特定できるのでしょうか。

最後の行の「10.30M」は午前10時半に受信したことを表すと考えると、その後の「0.」も不明です。電報上部の鉛筆書き「陳松生」は受取人、「201」のナンバリング印字は配達番号なのでしょうか。柳条湖事件の約1ヵ月後で満州事変が始まったばかりの時期だけに、電文内容も戦乱に関連する取引関係かも知れません。いずれにしても分からないことだらけの電報です。

YAMAGATA.jpg分からないと言えば、配達した大連山縣通局も分からない存在です。この特異な欧文印で早くから注目されていた局ですが、無集配局の分際でなぜ「分不相応な」印を使えたのでしょう。国際郵便物を窓口で受け付けたとしても、集配する大連局で「DAIREN」印を押せば済むことです。無集配局の欧文印は、当時として類例がなかったのではないでしょうか。

ただ、無集配局でも電報を配達した「根拠」なら分かります。この局の前身、大連局大桟橋出張所は1907(明治40)年6月の開設当初から、電報配達業務を指定された特別な局でした(『関東逓信三十年史』)。大連港利用の旅客や入港中船舶などへの便宜のためでしょう。1923(大正12)年7月に山縣通に面した大連取引所構内に移転・改称した以後もこの業務を維持しました。

それにしても、大連市内中心部に宛てた電報を大連局ではなく大連山縣通局がなぜ受信、配達しているのか--。この辺の仕組みの解明が、この局の特殊性を理解する一つのカギとなりそうな気がします。
posted by GANさん at 21:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 電信・電話 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
母故全家可否来濾速電覆順。
母が亡くなったので、家族全員上海に来れるか返信ください。

という内容ですね。難しいです。。
Posted by 真真 at 2019年05月14日 15:50
真真さま。難解な中文電報の解読をしていただき、ありがとうございました。GANが勝手に想像していたような戦乱や商用とは縁遠い、極めてドメスティックな内容でしたね。なるほど、中国語の電文はこういう風に組み立てるのかと、よく分かりました。重ねて御礼申し上げます。
Posted by GAN at 2019年05月14日 16:26
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