2017年08月15日

キスカ「熊」部隊を解明

熊2.jpg熊1.jpg先年、函館の古い収友、大上養之助さんに無理を言って、アリューシャン派遣部隊の貴重なエンタイアと資料類を譲って頂きました。おかげで、これまで厚生省資料などには漏れていた部隊通称番号を偶然にも解明することができました。

右図がそのエンタイアの1通です。発信アドレスは「小樽局気付 北海派遣 熊9237部隊 宇佐美隊」とあります。「北海派遣」は米領アリューシャン列島のアッツ、キスカ両島を占領・防衛するために派遣された陸軍部隊を意味します。小樽局はこの軍事郵便の交換局でした。「熊」はこの部隊を編成して送り出した「親元」の第7師団(旭川)を表します。

しかし、肝心の9237という部隊通称番号が分かりません。陸軍省編『陸軍部隊調査表』(1945)や最も信頼できる大内那翁逸編『旧帝国陸軍編制便覧』(1995)には9236まではありますが、9237から9240までは欠番となっています。これは、アッツ玉砕、キスカ撤退でアリューシャン完全放棄により解散した部隊と思われました。

終戦前に廃止された部隊は資料がなく、経歴を調べるのは至難の業です。あきらめていたところに大上さんから電話があって、あっさり解決してしまいました。「あの手紙を差し出した人の部隊の写真集だったんだね。中隊長の名前が一致したんで驚いたよ」。こちらはもっとビックリし、頂いた資料群をあわてて取り出し、見直しました。

確かに、『想い出の栄光 北魂 宇佐美隊』という大判の写真集(コピー)がありました。アッツ・キスカから北千島と転戦した穂積部隊宇佐美隊の大量の写真フィルムを戦友会が編集して1983年に刊行したものでした。「穂積部隊」とはアッツ攻略のため編成された北海支隊(穂積松年支隊長)の通称です。

支隊の主力は穂積少佐が大隊長として指揮する独立歩兵第301大隊で、1942年(昭和17)5月5日に第7師団で編成されました。「宇佐美隊」とはその大隊の第4中隊(宇佐美利治中隊長)の通称だったのです。さらに、書状の発信者である源光男氏は中隊幹部の軍曹だったことも写真集の記事から分かりました。

ここまでくれば、もう間違いありません。「9237部隊」とは「独立歩兵第301大隊」のことです。大隊はアッツ攻略後、42年9月にキスカに転進したため命拾いしました。43年7月末に「奇跡」とされるキスカ完全撤退に成功した後、大隊は北千島・幌筵島で復帰(解隊・廃止)し、大部分の隊員は新たに編成された千島第1守備隊(幌筵)に転属しています。

この書状はキスカから43年4、5月に発信されたと考えられます。「北海派遣」という派遣名は陸軍省内牒「陸亜密第347号」によって43年1月30日以降の使用が指定されました。また、アッツ・キスカとの連絡は、伊号第7潜水艦の5月4日アッツ入・出港を最後に途絶しています。書状表面に「7月4日着」の書き込みがあり、恐らく最後かそれに近い潜水艦便で運び出されたのでしょう。

念のためですが、「9237部隊」が大隊の上級部隊である「北海支隊」やその後身の「北海守備隊」を表すとは考えられません。「宇佐美隊」が中隊名であることが確定した以上、その前の「9237部隊」は中隊が所属する連隊なり大隊名でなければなりません。この場合は301大隊しかあり得ないのです。
posted by GANさん at 22:51| Comment(0) | 軍事郵便(陸軍) | 更新情報をチェックする
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