2017年08月27日

樺太異型為替印をリユース

大谷櫛葉書.jpg樺太・大谷局で昭和18年(1943)10月6日に引き受けられた楠公はがきです。特異な発信アドレスに加えて検閲印もあり、一見して軍事郵便のようですが、有料の完全な内国第2種普通郵便です。

この大谷局日付印は特別珍しくもありませんが、形式が特異です。局名「樺太大谷」は明瞭なのに、その下(D欄)が空白で、本来入るべき櫛型がありません(下図-)。GANはこれまで活字挿入の不具合か、押印のさいの微妙な力加減かでこのようになったかと考えていました。最近になってこの疑問はとっくに「解明」されていたことに気付きました。

浜松の消印研究家で故人となられた池田進氏著『日本消印事典(3)』(1972年、萬趣会)の「樺太の消印」の項で、「C欄星3つ」型のバラエティとして、この異型印の印影が発表されていました(p.74)。池田氏は「大正7年ごろまで使われたと考えられる丸二型為替印の局名活字の再使用によるものである」と注記しています。

樺太では大正時代初期に独特の丸二型印が導入されました。郵便電信印では上部「樺太」で下部局名、為替貯金印では上部局名で下部為替貯金記号というタイプです。通常、これらの活字の配列は水平ですが、一部の局では局名が外円に沿って弧状のバラエティが使われました。郵便電信印で野田寒、為替貯金印では大谷の例(下図-中央)を池田氏は挙げています。

大谷無.jpg池田.jpg大谷櫛.jpg
つまり、大谷局では1940年前後に大正時代に使っていた為替貯金印を引っ張り出し、その下部印体だけを「C欄★3個」に差し替えて郵便用にリユース(再利用)した。上部は普通の櫛型印のA欄のように見えるが、本来が丸二型印なのでD欄などない--というわけです。大谷局では正常な櫛型印(上図-)も併行して使っています。リユースの理由は、時局(戦争)による資材節約を理由とする時刻表示廃止、「★3個」型導入と関連がありそうです。

恒例の「蛇足」です。このはがきの「大谷郵便函11号ノ2」という発信アドレスは、1940年(昭和15)1月から使用が始まった特別な表記法です。前年5月に配置された樺太混成旅団の存在をソ連に対して秘匿するため、部隊名の代わりとして導入されました。上敷香、豊原、内路、気屯など数局の使用例が知られますが、部隊名を始め使用状況はまだ「解読」されていません。

もう一つ蛇足。池田氏は櫛型印について解説した『日本消印事典』第3巻をまず出版しましたが、他は未刊に終わりました。後に『櫛型日付印詳説』上・下巻(1975・76年、萬趣会)を出しましたが、この樺太丸二型印の異型バラエティについては言及していません。
posted by GANさん at 23:44| Comment(0) | 郵便印 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください