2017年10月25日

仏印特派大使府海軍部

仏印特使府.jpg平凡な海軍用の特別軍事航空はがきに過ぎませんが、発信アドレスがなかなかユニークです。「仏印221野戦郵便所気付 仏印特派大使府海軍部」とあります。発信時期が分かりませんが、1942年(昭和17)秋から翌春にかけての頃と思います。最近のヤフオクで落札しました。

仏印特派大使府は1941年7月の南部仏印進駐後、仏印総督府との間で「政務、経済関係をも一元的に処理する」ための外交機関として10月14日ハノイに特設されました。8月8日に開設が閣議決定されてから2個月も経っており、何か混乱があったことをうかがわせます。第221郵便所もハノイに開設されていた陸軍の野戦局です。

「特派大使府」とは他に聞かない名前です。従来のハノイ総領事館を拡充し、陸海軍代表も加えて事実上独立国の大使館並みに組織されました。特命全権大使には元駐仏大使の大物外交官・芳沢謙吉が任命されています。当時のフランスはドイツ占領下にありました。傀儡のビシー政権には東洋にまで外交権を及ぼす力がなかったための便宜的措置と思われます。

大使府には他の外交公館付属の陸・海軍武官府に相当する「陸軍部」と「海軍部」が領事部や経済部などと並んで置かれました。陸軍は仏印からの援蒋ルート遮断を監視する「西原機関」をハノイに設置していましたが、大使府に吸収されずに残りました。恐らく陸軍省が既得権を手放さず、外務省による「一元化」に抵抗したのでしょう。

このはがきは大使府海軍部からの発信ですが、海軍ではなく陸軍の郵便機関が取り扱っています。陸海軍の反目関係から見て、かなり珍しい使用例と言えます。海軍は第41軍用郵便所をサイゴンのセレター軍港内に開設していましたが、ハノイ方面には郵便機関がありません。やむを得ず陸軍の好意にすがった、ということでしょうか。

逆の例、陸軍側が海軍の郵便機関を利用したケースなら、中部太平洋方面などにたくさんあります。が、こうした場合はいずれも大本営の陸・海軍部間で「通信支援協定」が結ばれていました。1928年の済南事件の際や上海事変後の1935年にも陸海軍省間協定があります。この当時の仏印ではそのような協定は見当たらず、ごく少数の現地限りでの取扱だったと見られます。
posted by GANさん at 21:09| Comment(0) | 軍事郵便(海軍) | 更新情報をチェックする
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