
左図は最近のヤフオクで入手した封書です。昭和12年(1937)5月31日に大阪中央局で引き受け、神戸市に宛てられています。表面左側中央部に黒紫色の「検閲済」ゴム印、右側下半部に角枠「昭和12年6月1日/第六三六号」(数字は手書き)と「昭和十二年六月四日」のいずれも紫色ゴム印があります。
これらの印が検閲を受けた記録らしいことは想像できます。だれがした、どういう検閲でしょうか。書状の宛先の「橘刑務所内」が手がかりです。正確には「神戸刑務所橘通出張所」といい、1941年に「神戸拘置所」と改称され現在も存続しています。名宛人はここの収監者(名前の姓を画像処理で消してあります)なのでしょう。


「刑務所検閲の桜マーク」については以前から郵趣界でも興味を持たれ、発表が重ねられてきました。直近では裏田稔氏が「拘置所内の郵便検閲」(北海道第壹郵趣廼會會誌『郵趣記念日』第262号所載、1998年)として東京拘置所以下全国10ヵ所の刑務所、拘置所など行刑施設ごとの桜マークの形式区分を紹介しています。これに「橘刑務所」は含まれていず、もしかしたら今回が新発表かも知れません。
最初の問題に戻ります。この書状のように、宛先に到着後に行われた検閲も「郵便検閲」に入るのでしょうか。GANの考えは「郵便検閲とは言えない」です。名宛人からすれば受け取り前の郵便物を検閲された事実に違いはありません。しかし、書状が刑務所に配達された時点で郵便物としての輸送(逓送)は完了し、狭義の郵便物でなくなっているからです。

刑務所検閲が郵便ルートから降りた後の検閲なら舎監検閲はルートに乗る前の検閲で、共にオフルートoff routeでの検閲です。狭義の郵便物状態でないときの検閲という点で両者は同じ意味を持ち、郵便検閲とは言えません。つまり「郵便検閲」とは、郵便システム上の輸送ルートにある(=逓送中の)郵便物に対して行われる検閲をいうべきだとGANは考えます。
もちろん、これらの検閲も郵便に膚接し、郵便検閲を調査する上でも重要で興味深い存在であることに違いはありません。GANの真意は郵便検閲と非郵便検閲との境界を明確にすることにより、郵便史調査研究水準の向上を目指すところにあります。