2018年07月31日

差出人に還付し倍額徴収


ダルニー未納-2.jpgダルニー付箋.jpg私製絵はがきですが、「清国ダルニー」という片仮名の宛名はともかく、「勅令違反」というような付箋(左図の右側)に驚かされます。意外と珍しい使用例かも知れません。

これは、日露戦争中に福岡県三井郡御井町から大連の碇泊場司令部付き軍医に宛てた軍事郵便です。切手を貼り忘れたまま投函されたので、久留米局ではがき表面に角枠「未納 徴収額 三(筆書)銭」の朱印を押して差出人に戻しています。消印がありませんが、1905年(明治38)春ごろの発信のようです。

これだけならよくある未納郵便に過ぎませんが、このはがきは軍事郵便ならではの特別取扱を受けていました。普通の未納・不足郵便物は宛先に配達し、受取人から料金(不足料金の倍額)を徴収します。しかし、戦地宛て(=有料)軍事郵便に限っては配達せず、差出人に還付して料金の倍額を徴収する規則でした。

それが付箋に筆書されている「勅令第19号第3条」です。この勅令は日露戦争の直前に制定された軍事郵便の最も基本的な法令です。戦地では野戦局員自身が直接受取人を捜すのは極めて困難で、受取人も現金を持ち合わせているとは限りません。互いに手間がかかり過ぎるので「発送せず還付」することになったのでしょう。

明治人は律儀ですから、料金の計算間違いはあっても全くの未納、まして戦地宛ての未納はごく稀だったでしょう。還付されても付箋をはがし、改めて切手を貼って再投函した例も多かったはずです。再投函も捨てられもせずに残ったこのはがきは、勅令第3条の適用を証明する貴重な存在と思います。

宛先の「ダルニー」は現代の大連(正確には中国旅大市の一部)です。帝政ロシアは東清鉄道の支線を大連湾に面した漁村「青泥窪(チンニワ)」に引き込み、商港を築いてダルニーと名付けました。日露戦争でこの地を占領した日本軍は1905年2月11日に大連と改称、このはがきはその改称前後の発信とみられます。
posted by GANさん at 21:47| Comment(0) | 軍事郵便(陸軍) | 更新情報をチェックする
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