

郵便印(櫛型印)の場合、正確にはいつから、何を根拠として局名表記を左書きに変えたのか。必要があって郵便法令や参考書に当たり、意外な事実に気付きました。これについて従来の説明はいずれもおざなり、というよりほとんど触れられていないのです。
まず法令ですが、郵政省は1949年(昭和24)9月30日の告示第177号で、戦時・戦後期に大混乱した通信日付印の形式を櫛型印12、機械印5種類に整理し、図示しています。これにより、局名左書きで時刻入り(C欄県名や★入りを廃止)の「戦後型櫛型印」形式が10月1日から導入されました。
郵便印の専門書として最新刊の『日本郵便印ハンドブック』(2007年、日本郵趣協会)はこの告示177号を挙げて、単に「1949年から使用された」とあるだけです。『郵便消印百科事典』(2007年、鳴美)も「昭和24年から左書きの局名活字の配備が始まる」とし、早期使用例1点(中京局24.2.1)の存在を示すに止まっています。


郵政省は局名を左書き表示に改めた理由を説明していません。郵趣協会や鳴美の本も同じで、根拠を求めた形跡すら見えません。GANの調査では常識的に考えられるような米軍占領下で欧米式にならって取り入れたのではありませんでした。戦前の1942年3月に文部省が主唱し、逓信省も含む主要官庁が賛同して決定された「横書統一案要綱」に淵源があります。
「国語ヲ横書ニスル場合ハ左横書ニ統一スルコト」と孔版手書きされた文部省作成の「要綱」原文が現在も国立公文書館に残されています。これが当時すぐに実行されなかった経緯は横道に逸れるので略します。左書き櫛型印の登場は、要綱の精神が敗戦を隔てて実施されていった1例と考えてよいと思います。いずれにせよこれを1949年から始まったように書いている郵趣協会や鳴美の本は事実誤認と言わざるを得ません。

