

『てつゆう=梶原ノート=』(2014年、鳴美)で確認したところ、最新データは17年5月31日(下二)となっていました。わずかではありますが、2ヵ月半ほど更新することになります。もしかして、鉄郵専門家の間では既にもっと新しいデータが共有されていたのでしたら、ゴメンナサイですが。
発信者の住所「深良村震橋(ふからむら・ゆるぎはし)」は現在は裾野市の一部になっています。御殿場駅から1つ沼津寄りの佐野駅(現在の裾野駅)が最寄り駅なので、このはがきは佐野駅構内の郵便箱に投函されたのでしょう。佐野駅で下り列車の郵便車に乗務した郵便係員が取り集めて引き受け押印し、さらに沼津駅で下り神戸方面行き郵便車に積み替えられ運ばれたと考えられます。

もっとも、この本の編集者の誤解にも「理解できる」点があるのです。東海道線は創業以来ずっと、国府津沼津間を御殿場回りするルートでした。が、1934年(昭和9)12月1日に箱根外輪山の南東部山裾に丹那トンネルが開通し、熱海経由の国府津沼津間が東海道本線に変更されました。哀れ、御殿場ルートはローカル「御殿場線」に転落してしまいます。
以上を踏まえてさらに『てつゆう=梶原ノート=』を見ると、不可解なデータが載っていました。国府津沼津間で最古の「昭和3年6月28日(上二)」という他に突出して早い日付があります。この時期は御殿場回りの東海道線しかなく、東海道線とすればこんな区間便は無用でした。「昭和13年」などの誤りではないでしょうか。
【追記】(2019.4.10) 「逓信公報」で調べたら、やはり昭和9年11月28日付の告知欄に「12月1日から御殿場線に国府津沼津間鉄道3等郵便線路を新設する」趣旨の記事が掲載されていました。国府津沼津間という鉄道郵便線路は東海道線のルート変更と同時に誕生したことが分かります。これで、「昭和3年」はあり得ないデータと断定できます。