2017年12月04日

「三笠艦大写し」の実逓

三笠艦大写し171129-11.png日露戦争記葉の珍品として昔から知られる「三笠艦大写し」がヤフオクに出品(左写真)されました。実逓便としては恐らく初出。注目していたら、なんと! 11月29日に22万4千円という破格の高値で落札されました。

このはがきは逓信省が日露戦争中に発行した多数の記念絵葉書のうち1905年2月の第3回「天長節の部」3種セットの1種、「海軍」です。三笠艦大写し171129-21.png聯合艦隊の旗艦「三笠」と司令長官東郷大将が描かれています。

当初印刷された「初版」では「三笠」の艦形を大きく描きましたが、満艦飾の「三笠」に差し替えられてしまいました。正式発行された「再版」の方が結果的に艦形は小さく、不明瞭になっています。

「初版」の大写し「三笠」は印刷倉庫の段階で全量廃棄されたはずですが、一部が市場に流出したようです。故・島田健造氏は『日本記念絵葉書総図鑑』(1985年)で、「現存数は2、3枚程度」「実逓使用例は発表されていない」と解説しました。差し替え理由は公式には「満艦飾の写真の方がより良い」ですが、島田氏は「郵趣界では防諜上の問題といわれる」と指摘しています。

今回出品の初版はがきは樺太の九春古丹野戦局で明治39年(1906)8月6日に引き受けられた軍事郵便です。日露記葉には軍事郵便用と普通郵便用とがありますが、これは普通郵便用はがきです。島田氏は「(初版は)恤兵(軍事郵便)用も印刷されたか不明」とも書いています。

発信人の「樺太郵便部 竹内友二郎」は樺太守備隊郵便部長で、野戦郵便の現地最高責任者でした。民政移管後もそのまま樺太庁郵便電信局長に横滑りし、初期樺太郵政を担った最高幹部です。廃棄はがきが「参考品」として配布され、使用できたとしても、それほど不思議ではありません。

大写し再版.jpg大写し初版.jpg『総図鑑』2009年復刻版所載のカラー写真(右写真、左が初版、右が再版)と今回出品物とを見比べると、図案は全く同じですが、色合いがかなり異なります。『総図鑑』写真が落ち着いたセピアとオリーブ色基調なのに比べ、出品物は全体に青色系が強調され、とくに東郷大将の上半身写真を囲む舵輪の青色が目立ちます。しかし、これは別の印色ということではなく、複写、出力上の技術的な発色違いと思われます。

蛇足ですが、初版を刷り直した真因は「満艦飾」や「防諜」ではないでしょう。このセットの他の一種、「陸軍」に描かれた満州軍総司令官・大山元帥には「Marshal Oyama」と説明がありますが、「海軍」の初版では東郷大将に説明がありません。単純ミスでしょうが、これではだれか分かりません。再版で「Admiral Togo 東郷大将」と加わりました。名前の入れ忘れの修正、GANはこっちが「正解」だと独断しています。
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2015年12月20日

蒙彊聯合委員会の絵葉書

蒙彊-2JPG.JPG蒙彊-1JPG.JPG 蒙彊-3JPG.JPG蒙彊の自治政府発行と考えられる絵はがき2シリーズ、3点を最近のネットオークションで相次いで入手しました。この分野では島田健造氏の『日本記念絵葉書総図鑑』(2009年再版)が最も信頼できる参考書ですが、「記念」ではないためか、いずれも未掲載です。

図1(上図の右)は黒単色の写真で「既婚婦人(右)と未婚婦人(左)」の説明があります。同じ絵面の右下方に小さく「蒙彊聯合委員会/蒙古聯盟自治政府」と発行者の名前が2行で入っています。表面は「POST CARD」などの英文もあり、市販の写真絵葉書と全く同じスタイルです(下図の左)。何種かのセットの内の1枚でしょう。

図1とは別シリーズの図2(上図の左)、図3(図2の下)は共にセピア単色の写真で、「蒙彊聯合委員会」「夏の蒙古高原」のタイトルがあります。やはり何種かの内の一部と思われます。表面(宛蒙彊-12.jpg蒙彊-32.jpg名面)下部中央に「蒙彊聯合委員会発行」と、こちらは銘版が明確に印刷されています(右図の右と下図の下)。

蒙彊聯合委員会は日中戦争直後の1937(昭和12)年11月22日に張家口で発足しました。いずれも関東軍の謀略で内蒙古に成立した察南、晋北、蒙古聯盟の3自治政府の上部連絡機関です。2年後に3自治政府は合流し、委員会は「蒙古聯合自治政府」に改組されます。

蒙銘-3.jpg図1絵面の「蒙彊聯合委員会/蒙古聯盟自治政府」と二者並列に見える「銘版」(左図)は、実際は「蒙彊聯合委員会に加盟(所属)する蒙古聯盟自治政府の発行」の意味でしょう。蒙銘-1.jpg

いずれにせよ3種とも37年11月の聯合委員会発足以降、39年9月に聯合自治政府に改組される以前の発行、ということになります。

これらの政権はすべて蒋介石の国民政府からの「独立」を宣言した、日本の傀儡の地方政権でした。関東軍は「満洲国」を安定的に経営するため、中国本土に接して緩衝地帯を形成する「華北分離工作」を進めていました。蒙彊聯合委員会 → 蒙古聯合自治政府はその完成モデルの一つです。

図2の「蒙彊聯合委員会」の説明文は次のように書かれています。
「蒙彊聯合委員会は昭和十二年十一月二十二日張家口に設立され、支那事変勃発後僅々三ヶ月にして早くも王道楽土建設の第一歩を踏出した」

「王道楽土」は日本軍が「満洲国」建国を強行する際のスローガンでした。まさに日本帝国の立場と言い分そのもので、主人公であるはずの蒙古人の姿や主張はここにはありません。端なくも日本による中国侵略の一端を実証する資料となっています。
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2015年07月23日

赤紙軍事のプルーフ出現

PROOF.JPG愛称「赤紙軍事」の一種、「遼陽占領一週年招魂祭紀念」絵はがきです。東京・錦糸町で7月17日から開かれた全日本切手展初日のブース漁りで、同種の数点と共にゲットしました。

赤紙軍事は日露戦争の戦地・満州で、紅色地の逓信省発行軍事郵便はがきを使ってイベントの記念や現地の風俗・風景を印刷したものです。この絵PROOF-2.jpgはがきには明治38(1905)年9月4日、遼東兵站監部と、発行日、発行者名も印刷され、発行事情が分かります。

ですが、どこかおかしい。色がヘンなのです。本来、この記念絵はがきの刷色は黒なのに、これは緑です。さては新種か! 裏返してみると、台はがきは戦争の当の相手であるロシア帝国の官葉、内国用紋章3Kはがきではありませんか。

もちろん、この絵はがきをロシアが発行するわけはありません。遼東兵站監部は製作の際に、刷色を色々と変えてテストしたのでしょう。つまり、プルーフ(試刷)と考えられます。例えば遼陽や奉天のロシア局を占領し、そこで押収した多量のはがきを流用したのだと思います。プルーフの用紙が現に対峙中の敵国のはがきなんて、いかにも戦地ならではの話です。

それが破棄を免れて1世紀を超えた今日まで伝わったのは、当時の担当者が資料性を認めて大事に保存していたためでしょう。赤紙軍事のプルーフはこれまで未発表で、製作経過を考察する好資料と思います。手持ちの正式発行分(黒色)と比べて見ましたが、図案は細部に至るまで同一で、変更点はありませんでした。
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2014年06月25日

返信票特別軍事航空に新種

返信票2.jpg陸軍恤兵部が発行した特別軍事航空はがきの後期タイプ、三角返信票付きに現地印刷の新種が現れました。スマトラ部隊の使用で、活版印刷されています。近年の大阪のオークションで入手しました。

発信アドレスの「富4050部隊」はスマトラに駐屯した第25軍に属する第4師団司令部を意味します。ここには示しませんが、GANの収品にもう1点同じステーショナリーがあります。こちらのアドレスは「富4073部隊」で、第4師団主力の歩兵37連隊です。

第4師団司令部は1943(昭和18)年11月にスマトラ島ベラワンに上陸し、44年1月にマライに移駐しました。スマトラ駐屯期間はわずか3ヵ月足らずしかありません。ただし、37連隊は司令部と分かれてパレンバンに駐屯を続け、45年2月以降、タイに移っていた師団主力に追及しました。

資料が少ないので仮説でしかありませんが、このステーショナリーは第4師団司令部がスマトラ駐屯中に現地で印刷させた「特注品」だった可能性があります。もちろん、第4師団以外の使用例が将来現れれば、この仮説は吹っ飛びますが。

ステーショナリーとしては、やや厚手(0.36mm)のザラついた粗紙が使われています。刷色は標準版と同じ赤色です。活字を使った凸版印刷、つまり活版で刷られています。三角返信票の斜辺下に本来あるべき「特別軍事航空郵便」の文字を欠いています。

右側の「受取人は……」の注意書きが通常は2行なのに、これは3行にわたっているのが最大の特徴です。注意書きの3行印刷は他に例がありません。印刷所にたまたま小さなサイズの活字がなく、大きなサイズで「妥協」したためでしょう。

この新種のステーショナリーに命名するなら、「スマトラ3行活版」はどうでしょうか。もし、第4師団のみの使用と確定できたら「スマトラ淀活版」もよいかも。「淀」は4師団の通称符です。
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2014年04月19日

済南事変のニセ軍郵はがき

SPAULDING.jpg分銅無銘はがきの料額印面に明朝4号活字で「軍事郵便」と赤色加刷されています。2013年2月に大阪の大手オークションA社に出品されました。最近物故された在米の大コレクターの蔵品だったそうです。下値30万円でしたが、応札はありませんでした。

このはがきは「済南事変に出動した第6師団用に発行された」として戦前から知られています。日専は1985年版に軍事郵便はがきを採録した当初からこのはがきを扱っていませんが、組合カタログは載せていました(最近版が手元になく、現在形では言えません)。

GANは以前からこのはがきを空中楼閣的な意味でのニセモノと思っています。念のためA社の現物を下見してみました。印刷直後に重ねたようで、印面の裏側が赤インクで少し汚れていました。印刷業者なら、重ねた程度で裏写りなどさせません。素人が水性インクでやった仕事と判断しました。

気になったのは、当時の日本郵趣連合の鑑定書が付いていたことです。鑑定者名を見ると、組織の代表者(と、あるいはもう1人)のみで、いずれにせよステーショナリーにも軍事郵便でも専門家とは言えない方でした。「意見なし」ならともかく、「真正品です」と何を根拠に断定できるのでしょう。GANから言わせれば「鑑定料詐欺」です。

「真正品」説の最大の論拠は戦前のコレクターで研究者の中田實氏の著作『続・日本の郵便封皮、帯紙及葉書』(1931年、日本郵券倶楽部発行)です。中田氏はこのはがきに「軍葉第6号」のカタログナンバーを与えています。

記事によると、「之れが存否を云為するものすらありとの噂」があったため、中田氏は直接、第6師団歩兵第47聯隊の当局者に問い合わせたそうです。その結果を大要次のように記しています。

 1、中国局が日本軍の通信を放棄・破棄するので、授受を正確にする目的で発行。
 2、逓信省発行ではなく、済南で印刷した。
 3、昭和3(1928)年5月21日に第6師団に交付され、同時に使用開始した。

しかし、これは根本的におかしい。実は、5月21日というのは山東派遣軍(第6、3師団)に対して無料軍事郵便が適用された日です。5月24日には済南にも第2野戦局が開設されています。野戦局があれば、もはや中国局に郵便を渡す必要はありません。

無料軍事郵便の適用や野戦局の開設は、陸軍省と逓信省の「当局者」が事前に協議して実施されます。5月16日以前には関係公文書が起案されていた事実もあります。出先部隊の一存で「中国局対策の特別はがき」など発行できるわけがありません。

さらに言うなら、書留ならともかく「軍事郵便」加刷をしただけで中国局の取扱が改善されるものでしょうか。中国では売られていない日本の官製はがきをどこから入手し、だれが料金を負担したのか、緊急事態というわけでもないのになぜ逓信当局に連絡しなかったのか、封書の扱いはどうするのか。--中田氏の記事は矛盾だらけです。

念のため触れておくと、同じ分銅はがきに一回り大きな明朝3号活字で「軍事郵便」と赤色加刷したものが軍事郵便適用開始と同時に使われました。こちらは逓信省が発行した法定(正規)の軍事郵便葉書です。4号活字の方は、本物をヒントに偽造者が企画・立案したのではないでしょうか。

ところで、A社の出品の数年前、東京の有名業者B社もこのニセ加刷の未使用と「使用済み」をセットで売りに出しました。「使用済み」の方は大連局の引き受け(昭和3年7月15日)で、しかも発信者は民間人。郵便史の知識の全くない者が作ったミゼラブルな作品、というほかありません。
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2014年04月10日

逓信省記葉を軍事転用

TAIREI-2.jpgTAIREI-1.jpg
シベリアで使われた大正大礼記念の逓信省絵葉書です。第28野戦局(ザヴィタヤ)大正8(1919)年7月25日の引受印があります。野戦局で使われた記葉というと、例外的な持ち込み使用と思われがちですが、実はこれ、逓信省が正規に配布したシベリア出兵用「軍事郵便葉書」なのです。

逓信省は大正8年4月26日付で陸軍省に次のように通牒しています。
「(封緘葉書への『軍事郵便』加刷が不可能となったので)今後当分ノ内軍事郵便葉書ノ代用トシテ当省発行絵葉書ヲ配布ニ致、差当リ大礼記念絵葉書ヲ野戦交通部郵便長宛送付方取計置候」「軍事郵便トシ差出スノ外他ニ譲渡ヲ為サシメサルコト」

通牒に基づいて、5月2日にこの絵葉書12万組が現地に届きました。続いて10月10日にも12万組、12月1日に12万1千組が追送されています。1人1ヵ月4枚ずつ配布の計算で送られました。

この絵葉書は大正4(1915)年に2枚1組で300万組が発行されました。売れ残りも大量にあったのでしょう。総計72万2千枚がシベリアに送られたことになります。しかし、このように長期にわたって毎月配布されたのでは、記念の意義など失われてしまいます。完全な「廃物利用」の性格です。

シベリア出兵時、このような売れ残り絵葉書の軍事郵便への転用例は他に、神宮式年遷宮(1909年発行)、日英博覧会(1910)、平和記念(1919)、通信事業創始50年(1921)の4種が見られます。
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2014年02月26日

大連湾局記葉の発行者は?

DAIREN BAY.jpg大連湾無線電信局落成記念の絵葉書です。絵面にこの局の明治45(1912)年3月24日の極めて鮮明な紫色電信印が捨て印されています。発行者銘がありませんが、関東都督府通信管理局か、満洲逓信協会のいずれかに違いありません。

この絵葉書は、『関東逓信三十年史』(JPS復刻版)の巻頭「記念絵葉書」のグラフに2枚1組の写真が掲載されています。しかし、その後のページの「当庁(都督府の後身の関東庁=GAN注)記念絵葉書発行一覧表」には漏れています。島田健造氏『日本記念絵葉書総図鑑』は「未収」とし、後継の友岡正孝氏による再版でも採録されていません。

島田・友岡氏の調査によると、「大連湾無線電信局移転記念(大正11年)」「大連電話局自動電話交換開始記念(大正12年)」の2種の絵葉書も、『30年史』では関東庁発行としています。しかし、実際の袋には「満洲逓信協会発行」と記されており、関東庁本体の発行ではないようです。

満洲逓信協会は関東庁逓信局の外郭団体ですが、実態は内地の逓信協会と同様、「二者一体」の存在と思われます。官庁の事業としては格下だったり、収益性のある事業を代行させる責任回避先として、また、退職官僚の天下り先として、極めて便利な存在だったでしょう。『30年史』自体、完全に関東庁逓信局編集の当局本でありながら満洲逓信協会の名で発行されています。

この「落成記念」絵葉書も、「移転記念」「自動電話記念」と同様、袋には「満洲逓信協会発行」と記されている可能性があります。いずれにせよ、収集家・研究者が関東庁発行と協会発行を厳密に区別する必要があるか、主体的に判断すればよいことだと思います。協会の性格をよくわきまえた上で、の話ですが。

ところで、大連湾無線電信局ですが、庁舎落成の前年、明治44年11月19日に満洲での無線電信局第1号の海岸局(固定局)として、大孤山会沙砣子で開局しました。同時に開局した大連-上海航路の神戸丸、西京丸など中国沿岸部を航行する船舶局との交信を主務としたようです。一般公衆の無線電報も扱った可能性があります。すると、この局の消印を持つ切手が出てきてもよさそうなものですが――。
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2014年02月08日

「抹殺」された呉局テ厚紙

KURETE-4b3c9.jpg特別軍事航空はがきの一種、海軍用の「呉局テ厚紙」です。日本郵趣協会の日専カタログでは1986年版に採録が始まって以来ずっとMA6-c のナンバーが与えられていました。

しかし、2007年版でこのはがきは突然削除され、以後、カタログ上では「存在しない」ことになっています。今日はこのはがきを材料に、カタログ編集者の責任について考えます。

「呉局テ厚紙」は、海軍用のはがきの中で最も厚く、実逓のアドレスが必ず「呉局気付テ」で始まることから仮に名付けられました。0.26ミリと厚手で腰が強く、滑らかでわずかに鈍い光沢のある紙です。一方、標準版は0.22ミリと薄く腰が弱いので、紙質で簡単に区別できます。

MEIHAN.jpgまた、呉局テ厚紙は印刷が粗雑で、銘版が文字列としてやや左肩上がりに見えることでも見分けがつきます。マニラに司令部を置いてフィリピン海面を警備した第3南遣艦隊だけで使われました。将来は標準版に並ぶ別種として、「比島厚紙」の名でメインナンバーを与えることを提案します。

実は、2007年版の日専で削除されたのはこのMA6-c (呉局テ厚紙)だけではありません。MA6-a(標準版)、MA6-b(薄手粗紙)も同時に削除されました。しかし、翌08年版ではMA6-aとMA6-bが「復活」したのに、MA6-c だけは削除されたまま。その状態が最新版(11-12年版)まで引き続いているのです。

カタログナンバーが突然削除されて翌年すぐに復活したり、あるいは理由が示されないまま「抹殺」されたり、などという奇怪なことが、なぜ起こったのか。

編集部のカタログ担当者が07年版編集のさい、うっかりミスでMA6のサブナンバーa、b、c 部分の4行を削り落としたまま印刷してしまいました。あわてて08年版で戻したものの、今度は最後の2行のMA6-c を戻し忘れた、というお粗末な二重ミスが「抹殺」の真相です。担当者は頬かむりを決め込み、上司の編集長も監督する立場のカタログ委員会もチェックできず、いまだにこれをミスと認識していません。

これは極端な例ですが、他にも、サブナンバーのMA7AはあるのにメインナンバーのMA7がないとか、「標準版」と「薄手粗紙」を混ぜこぜにして、存在もしない「標準粗紙」なる〝新種〟を作ってしまうとか、シッチャカメッチャカ。日専を信じ頼っている利用者はいい面の皮です。

もし、「呉局テ厚紙」という種類は存在しないことが分かったから削ったのだ、というのなら、その理由をこそ知りたいものです。GANは当時、編集部に問い合わせたのですが、「担当者がいない、だれが直したか分からない」などと回答が得られず、ついにあいまいなままに終わってしまいました。

日専に書かれている内容にミスを見つけたり異議のある利用者はどこに申し入れればよいのでしょう。責任は、だれが取るのでしょう。発行所の郵趣協会なのか、編集実務の郵趣出版なのか、企画監修をするカタログ委員会なのか、あるいは表面に現れない「協力者」という名の執筆者でしょうか――。

スタッフが重なり、責任の所在があいまいで、外部の者にはどうなっているのかさっぱり分かりません。このようないい加減な体制が、致命的なミスをも何年にもわたって見逃し続けさせているのでしょう。

追記(2017.12.10)「日専」の最新版らしい『日本普通切手専門カタログ 戦後・ステーショナリー編』が11月10日に発行されたので、JAPEX会場で買ってみました。特別軍事航空はがきについては何の改訂もなく、旧版(11-12年版)そのままです。この記事で指摘したMA6-c (呉局テ厚紙)、MA7、MA6-b(標準粗紙)の問題も検討された形跡すらなく、ほっかむり状態が続いています。これでは最新版と称して収集家に買わせる意味がありません。この5年間の編集者、この項の「協力者(執筆者)」の怠惰、不勉強ぶりが見事に表れています。
posted by GANさん at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ステーショナリー | 更新情報をチェックする