2018年12月24日

「郵便学者」の賀状論

内藤記事.jpg「年賀状、出しますか?」というタイミングよいタイトルで1ページ特集の記事が12月24日付『朝日新聞』に載っていました。

「年賀状を辞める『辞退宣言』が増えている」「年賀はがきの発行数は減少傾向」「お年玉くじの最初はミシンが特賞だった」など既に書き尽くされた事実をなぞっただけの陳腐な内容です。そのおざなり記事の締めくくりに「郵便学者 内藤陽介さん」のコメントを見つけ、注目しました。

2段見出し顔写真付きの大きな扱い(左図)で、記者が聞き取りした「談話」というより本人が直接寄稿した文章のように見えます。5つの段落ごとにGANなりの要約をすると、次のような構成です。

 1、通信手段が多様化しても年賀状はなくならない。
 2、義務的な年賀状が多く「水ぶくれ」状態だったのが今は解消に向かっている。
 3、年賀状は日本人の文化だが、文化は本来無駄の塊である。
 4、年賀状を出す人は尊重すべきであり、攻撃すべきではない。
 5、年賀状は気楽な文化として楽しめばよい。

どの段落の「見解」にも論拠らしいものがなく、段落間のつながりも見えません。要するに何を言いたいのか筋を追うのが困難です。強いて論旨があるとすれば、「年賀状は日本文化の一部なのだから、無駄のように見えても続けていこう」とでも言いたいのでしょうか。このどこに学問研究の成果が反映されているのか、と聞きたくなります。

郵便の学者を名乗る人がこの問題をどう解き明かしてくれるのだろう、とGANは関心を持ったのです。こういう肩書きで登場するのなら、150年近い郵便の歴史を踏まえて「郵便と現代」に切り込んでほしかった。歴史観がすっぽりと抜け落ちているのです。この程度なら、JR新橋駅前とかで勤め帰りのサラリーマンを何人かつかまえればすぐ作れそうです。

そもそも論で言うなら、「郵便学」とはどんな内容で、他の学問とどう関わり合っているのでしょうか。そういう学者がどれほどいて、過去にどんな業績が発表されているのでしょうか。ーーすべて「ナシ」。内藤氏の頭の中にしか存在しない「学問」だからです。『朝日』はそれを調べもせず、肩書きに釣られて見事に引っかかり、恥を天下に曝しました。

現在の日本に郵便切手や郵便制度について地道な専門研究で実績のある人は大勢います。しかし、生業でもない「学者」を名乗るような人は内藤氏を置いて他にありません。「郵便学者」はジョークだと内藤氏が言うのなら、無知な新聞の取材にそう明言すべきでした。以後はマスコミから声がかからず、商売に差し支えることになるかも知れませんが。
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2018年08月29日

剱を見るは別山北峰に如ず

この夏は思い出に残る夏でした。没後50年の父の命日に仐寿の兄と2人で北アルプスの立山に慰霊登山をしてきたからです。父は大正時代末期の大学山岳部員で、遭難死した高名な大島亮吉とは同期だったはず。学生時代に登れなかった剱岳に終生の憧れを抱いていました。立山は全ルートで剱を見て歩けるのです。

今のGANよりもまだ若かった父の「荷物持ち」として、立山周辺には2度同行しました。「あの急な岩尾根が源次郎」「カニの横ばいがよく見えるぞ」「大きく切れてるのが三ノ窓。隣が小窓だな」。兵役時代の重い「ガンキョウ(双眼鏡)」を持っていて、飽かず眺めていた姿が思い出されます。

今回は、後期高齢者もいいとこの2人パーティーなので、健常者の2倍の時間を見込んで行程を組みました。初日は立山黒部アルペンルート出発点の扇沢手前で高級ホテル泊まりです。新宿発最終夜行列車で通路に新聞紙を敷いて寝た学生時代の山行の対極。兄が「宿泊費は全部オレが持つ」とこの年して兄貴風を吹かせるので、乗らない手はないのです。

IMG_43582.jpg最大の難関は3日目、朝6時に一ノ越山荘を立って主峰・雄山(3,003m)へ垂直高300メートルの直登です。ただでさえフレイル(老年性筋力虚弱)なのに加えて極度の労作から狭心症が続発し、特効薬のニトロも効きません。最後の30メートルは見かねた兄がザックを持ってくれ、ゾンビ状態で頂上を踏みました(写真=中央GANの遙か後方左に笠ヶ岳、右側が薬師岳の山塊)。

ガイドブックの3倍、3時間もかかりましたが、いずれにせよ想定内です。ここまで登ればあとは稜線散歩のはず。大汝山(3,015m)、富士ノ折立(2,998m)、真砂岳(2,861m)、別山(2,874m)と、山荘で渡された弁当も開けずにへたり歩きました。別山南峰との双耳峰で縦走路から少しはずれた北峰(2,880m)にたどり着いたのは午後1時のことです。

別山北峰からは眼下の剱沢雪渓を隔てて剱岳がフルオープンで真正面に迫ります。環境省にはナイショなのですが、実は剱と向き合う特徴的な形をした花崗岩の根元に父の分骨を埋納していました。前回は1988年だったので30年ぶりのお参りです。水筒の水で岩を清め、故人の好物だった銀座清月堂の金鍔と水羊羹を供えて二人で手を合わせました。

一ノ越から奇跡的にクッキリ見えた槍・穂高や笠ヶ岳の遠望、別山北峰で雲の切れ間から一瞬見えた剱岳源次郎尾根、そして雪渓を残して神秘な緑青色を湛えた室堂平のミクリガ池が印象に残ります。雷鳥にも再度お目にかかれました。この山域を今後も再訪できるとは思えません。よい山行ができたことを、つくづく感謝しています。
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2018年07月26日

カルトール印刷切手秘話

A.Kobayashi.JPG全日本切手展が開催中の7月21日に切手研究会の2017年度総会が東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開かれ、GANも参加してきました。

出席者18人。会計、会報編集、三井文庫などいつもの報告が坦々と続きました。その後の講演で、小林彰氏(写真の右端)の「日本郵便とISP(Cartor & Walsall)」が圧巻でした。

小林氏といえば、マダガスカル切手やフランス横浜局などの研究者・収集家として著名です。しかし、現在の立場はなんと、フランスの証券印刷会社カルトール(Cartor Security Printing)の日本代表だというのです。これには正直、ブッタマゲました。左下は小林氏の名刺。中央の実際に「全型目打」が施された大きな社名ロゴがおしゃれです。

名刺表.jpgカルトール社は昨年、5円ニホンザル、30円キタキツネなど日本の普通切手5種を製造しました。従来の国立印刷局製同図案のグラビア印刷切手と比べ、オフセットで刷った同社切手の精巧な出来栄えが評判になっていることは、門外漢のGANにも聞こえていました。

日本のコレクターにとって、これまで「オフセット」は戦中・戦後の混乱期に製造された3次昭和や新昭和切手を思い起こさせ、粗悪切手の代名詞でした。そんな印象を逆転させたカルトールとは何か。GANは軽オフセット機で印刷屋を営んだ経験もあり、大きな興味です。

小林氏のお話は当事者ならではの「ここ限り」の秘話満載で、講演終了後も会員が取り囲み製造技術上の質問が絶えませんでした。記憶の限りで一部をご紹介します。

・日本郵政は郵便切手製造の単価低減、「ガラパゴス化」回避を図って国立印刷局、凸版印刷の国内2社以外の海外印刷会社にも2004年から入札参加を認めた。現在までに3社が資格を得ており、今後もこれら海外印刷の普通切手が出現する可能性がある。
 1、ISP(仏系カルトール社と英系ウォルソール社の持株会社、2004年)
 2、Enschede エンスケデ(オランダ、2013年)
 3、Philaposte フィラポスト(フランス、2015年)

・日本の普通切手は印刷局が独占製造してきたが、2016年に外国企業で初めてカルトールが受注し、17年度に1、5、50円と20、30円の2期に分けて納入。18年度も同額面を納入予定。同社の普通切手シェア4-5%。

・日本郵政の契約条件は「印刷様式はグラビアまたはオフセット印刷。オフセットの場合は350線以上」。コスト上の損益分岐点は2,000万枚で、以下ならオフセット、以上はグラビアが有利。カルトールはオフセット専門なので、450線で製版し、平台オフセット機で(枚葉紙に)刷った。650線まで精密化する技術がある。

・発注条件に「印刷局製を見本に、全く同じものを作れ」。ヨーロッパ式の削り取り式目打は使えず、日本独特の針穴穿孔式目打や日本とヨーロッパで色調が異なる印刷インクの調整などで苦心した。

・刷版(いわゆる「実用版」)は窓口シート2×2の4面掛けで、上2面と下2面は頭合わせ。刷版中央部にあったカラーマークは裁断すれば4面ともシート上部に残るので、カラーマークの下付きは存在しない。

【追記】(1919.02.16)別記コメントを山崎氏から頂いてGANの思い違いが判明しましたので、この記事の下から3行目の最後から次行の初めにかけて次のように訂正します。なお、カラーマークは4個面のすべてで4番切手に付いています。
 誤「‥‥上2面と下2面は頭合わせ。刷版中央部にあったカラーマークは‥‥」
 正「‥‥上2面と下2面はケツ(尻)合わせ。刷版最上部と最下部のカラーマークは‥‥」
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2017年05月28日

飛信逓送タダじゃない

飛信逓送.jpg明治初期、公用緊急通信の急送手段として「飛信逓送」という制度がありました。郵便局というハードウエアを利用して書状を送達するので郵便の一部と考えられがちですが、GANは郵便の範疇には含まれない別制度と考えています。飛信逓送の性格を正面から論じたら興味深い大論文ができそうですが、ここは措いておきます。

ただ、性格論と関連する根本問題として、2点を問題提起しておきたいと思います。「飛信逓送は無料の軍事郵便」が「定説」とされていることです。直近では『ビジュアル日本切手カタログ 第4巻』(日本郵趣協会、2015年)にもそう書かれていますが、誤りです。飛信逓送は無料ではなく、軍事郵便でさえありませんでした。

飛信逓送は、特定の公用書状を「脚夫」(ランナー)が昼夜兼行で郵便局間を継ぎ送りし送達する制度です。利用は非常事態下の官庁(公用)に限られ、私用には使えませんでした。郵便切手は使わず、経由する郵便局ごとに「飛信逓送切手」が渡されて飛信書状であることを証明しました。

日本郵趣協会(JPS)は1974年に始まる『新日本切手カタログ』の時代から今日の『日本切手専門カタログ』(日専)まで飛信逓送切手を「その他の切手類」として取り上げてきました。前出の『ビジュアルカタログ』はその最新版ですが、その中で1ページを割いた大型コラム「飛信逓送切手」(p.44、上図)としてこの制度を次のように紹介しています。
飛信逓送はこのような非常事態(士族反乱や農民一揆=筆者注)に際し、緊急の書状を逓送するために、1874年(明治7)に制定された無料の軍事郵便で、……
ところが実際には、この制度を利用できたのは正院(今日の「内閣」に相当)、外務省、内務省、大蔵省、工部省、司法省、宮内省、開拓使、陸・海軍省、各地鎮台・営所と各府県庁でした。陸・海軍省と鎮台・営所以外はすべて軍事と無関係で、むろん、軍隊の運用権はありません。

暴動などが起きた場合、まず鎮圧に当たる警察の指揮権は内務省にありました。どの国の政府でも、軍隊の治安出動は警察力で対応しきれなくなった場合に限られ、あくまで2次的な想定です。制度の利用者、実際の運用の両面から言って、この制度の目的は広義の治安維持にありました。軍事関係者だけに利用を限定してはいず、軍事郵便ではありません。

次に、飛信書状を運ぶ「脚夫」は経由する各局でそのつど部外者を手配するため、脚夫に労賃を支払う必要がありました。局で立て替え払いしておき、後で駅逓寮(郵便所管官庁、10年1月以降は「駅逓局」)に飛信逓送切手を提出して清算する仕組みでした。つまり、利用のたびにコストが発生し、それを駅逓寮が負担する有料の制度です。

この駅逓寮負担は会計原則から言って不合理な処置でした。大蔵省の提議に基づいて、西南戦争のさ中の明治10年7月以降は「各廳ニ於テ飛信ヲ要シ候節、右逓送費ノ儀其廳經費中ヲ以支拂候儀ト相心得」よ、と通達されました(10年8月24日正院達第59号)。脚夫賃は利用した陸・海軍省や内務省などの受益者負担と改められたのです。このように、飛信逓送が無料というのは全くの誤解です。

JPSは1974年に最新の郵趣研究成果を集大成した極めて意欲的な『日本切手百科事典』を刊行しました。その中で「飛信逓送切手」が詳説され、制度について以下のような説明があります(p.209)。筆者として天野安治氏の名が記されています。
不平士族の反乱、農民一揆など明治初期の反政府暴動に対処するために制定された公用の無料軍事郵便で、……
論拠となる出典は示されていず、天野氏の考えと解されます。我が国郵趣界最高権威のこの誤認記事から問題が始まります。『新日本カタログ』は翌1975年版にさっそく天野氏の新説を取り入れ、「飛信逓送は公用の無料軍事郵便」と全面的に書き換えました。このカタログの74年版までは「(飛信逓送は)公用郵便物の特別送達」と書かれていました。「無料」と「軍事」はなく、正しい説明だったのです。

『新日本カタログ』はその後『日専』に発展しましたが、以後えんえん40数年間、天野氏のこの記事は丸写し続けられました。最初の方で示した『ビジュアルカタログ』のコラム記事も、もちろん天野氏記事が祖型です。この間、JPSのカタログ筆者らが根拠となった記事を見直したり精査した形跡は全く見られません。

そもそもJPSが発行する近年のカタログ類には編集・出版上の定見がありません。目立つのは明らかな事実誤認や校閲上の単純ミスばかりです。コレクター仲間の評判が、はっきり言って、とても悪い。営業上の困難は理解できるのですが、一貫性を放棄して縦横無尽にブレまくったり権威に盲従して先人の遺産を食い潰す弁明にはなりません。飛信逓送「問題」は氷山の一角です。

創業理事長を務めた水原明窻氏亡き後、責任ある統括者、監修者がいないのが原因とGANは見ます。名目上の理事長や「責任者」が、あるいはいるのかも知れません。「水原氏並みに」とまでは言いません。少しは使命感と、わずかでも意欲の見える出版物を出してほしいものです。

追記(2017.12.10)今年のJAPEX会場で発売された「日専」の後継カタログらしい『日本普通切手専門カタログ 戦後・ステーショナリー編』で、この記事で「無料の軍事郵便」は誤りと指摘した部分が改訂されました。新しい解説では「……反政府活動に対処するため、……公用の郵便制度が設けられ……」となり、従来の版よりは正しくなっています。
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2016年09月09日

荻原海一さんを悼む

aSCF1082.jpg大著『南洋群島の郵便史』で知られる昭和期郵便史研究者の荻原海一さんが亡くなり、先日、GANは新井紀元、沢株正始さんと共に逗子のご自宅を弔問してきました。昨春訪問した際は車いすからも離れ、まったく普通の応対をしていました。突然の訃報は悲しい限りです。結果的に、収友の前に現れたのは2013年春の切手研究会総会(左写真)が最後となりました。

早苗夫人によると、体調不良で7月半ばから入院中、8月1日に慢性心不全で亡くなりました。85歳でした。2000年以来、脳梗塞、冠動脈硬化症、胃がん、腸閉塞、尿閉塞、慢性腎炎、腰痛、大腿骨骨折と入退院を繰り返しました。いずれも強固なリハビリ努力で復帰、仲間内で「不死身の男」とささやかれていたのですが……。

荻原さんの業績で真っ先に挙げられるのは、1954年に『独逸建物切手研究』(下写真)を著したことだと思います。オフセット印刷のシリーズ切手をテーマに、版別、保護線、補修、版欠点など今日でこそ常識となっている製版工程を初めとする製造面での切手分類の手法を本格的に導入し、日本郵趣界に衝撃を与えました。

建物切手2.jpg敗戦からまだ10年も経たず、高度経済成長もずっと先という不自由な郵趣環境の中、大学生ながら未知のドイツ切手の解明に打ち込み、本国の専門家をも凌いだ成果は今日でも不滅です。研究の深さに驚愕した三井高陽氏が熱心に出版を勧め、当時破格の40万円の経費まで負担したエピソードが伝えられています。

郵趣人生の後半に当たる1980年代以降は、ドイツ切手の製造面の研究から180度転換して日本郵便史一筋となりました。御尊父が非常に高名な文人で、膨大な来信を几帳面に保存しておられました。亡父の手紙類の整理を始めたことから、たくさんの興味深い使用例のカバーに惹かれていったのでしょう。

震災切手の研究で著名な牧野正久氏から紹介されたという「鎌倉のオギワラ」なる人物からGANの自宅に突然電話がかかってきたのは、80年代の半ばごろでした。「開戦直前にアメリカから我が家に宛てた封書に『大日本憲兵隊検閲済』の封緘紙が貼られている。これは何か」「軍事をやっているそうなので、何か知りませんか」という質問でした。

見たことも聞いたこともないカバーのことでGANには何の解明もできず、1時間を超す長電話をお茶で濁して終えた記憶があります。荻原さんとの深い付き合いの始まりでした。彼にとっても、郵便史の底知れぬドロ沼にはまり込む因縁のアイテムだったと思います。このカバーは荻原さんが20年掛かりの執念で解明し、「切手研究」第431号(2006年)に発表、GANもこのブログの2014年4月18日付で書いています。

荻原さんの日本郵便史研究は時代を昭和切手発行開始の1937年4月から25年間の日本最大の激動期に絞って、集中的、精力的に進められました。成果の大部分は大石隆久さんが主宰した第一郵趣会の「スタンプコレクター」誌を中心に、「切手研究」「全日本郵趣・関西郵趣」「いずみ」「郵便史学」などに総計250編近くにもわたって掲載されています。「南洋」に着手したのは、これらが一段落してからのことでした。

今日、私たちが大戦を挟んだ戦前・戦後の日本郵便史について何かトピックスを書こうとすると、必ずと言ってよいほど荻原さんの築いた先行研究の巨大山脈に突き当たります。今でさえ難かしい、得られる限りの文献と独自の人脈を駆使した徹底的な調査が行われていたことを知ります。

「自分の所蔵品についてだけ書く」が荻原さんの原則でした。自分が書きたいテーマに欠かせないブツを持っている収友に矢が飛びます。大事な品を泣く泣く荻原さんに貢いだ人たちの怨嗟の声は今も絶えません。もっとも、彼らは「献納品」に見合う以上の交換品を入手した事実については、決まって口を拭っているのですが。

荻原さんの享年は、日頃「先生」と慕い尊敬してやまなかった三井氏の82歳をも上回りました。趣味に生きてその成果を社会に還元もできた堂々たる人生と言えるでしょう。切手と郵便史研究の忠実な後継者として、今頃は先生と対話の花を咲かせているのかも知れません。
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2016年08月31日

郵政商法ですが、何か?

突然ですが、ここでクイズです。東証一部上場の物流会社があります。ネット販売のオリジナル商品を、「お届けは1週間ないし10日後」と堂々とうたって営業を続けている。さて、この浮き世離れした物流会社とは、いったいどこ?

正解は「株式会社日本郵便」。オリジナル商品とは郵便切手のことです。けっして受注後に生産を始めるメーカー企業の話などではありません。GANは8月25日に日本郵便のサイトにある「切手SHOP」で、シール切手など5千円余りを注文しました。届いたのが今日、8月31日のことです。

切手shop-2.jpg実は、発注後2、3日して「あれ、まだ届かないなあ。オーダーフォームの入力にエラーでもあったか」と思ってはいたのですが、再確認してませんでした。

忘れかけていたところに突然の配達です。書留ゆうパック扱いなのに無料というのはありがたいのですが、それにしても、6日がかりとは何? さっそく「お問い合わせ電話」(有料!)で聞きました。

GAN「なぜこんなに時間がかかったんですか。何か事故でも?」
日郵「いえ、当方ではご注文の翌営業日にクレジットカード決済、更にその翌々営業日に発送となっております。お客様の場合、8月26日決済、土日の27、28日を挟んで30日に発送致しましたので、本日31日配達となりました」

GAN「えー、それで6日がかりですか? そんなこと聞いてない」
日郵「申し訳ございません。当方ではそうなっております。サイトでも、約1週間でお届けすると、お断りしております」。さすがに、「6日ならまだ早い方でございます」とは言いませんでした。

GAN「だって、AMAZONなんかだったら、下手すると発注したその日に届きますゼ。決済したら即発送、が常識でしょ。改めたら?」
日郵「申し訳ございません。当方ではそうなっております。いちおう、上の者にはお話のあったことだけは伝えておきます」

お届け.png後刻、サイトをよくよく見てみると、なるほど、確かに「お届け時期の目安」というのがありました。「ご利用ガイド」という目立たない小さなタブを開いた、下の下の、また下の方に……。グループ企業・ゆうちょ銀行の郵便振替など利用した日には、なんと、「10日後お届け」が標準だったことも分かりました。GANはカード払いなのでまだ早い方だったのでした。

この「目安」によると、いつ発注しても、配達は土日をまたいで翌週回しになる勘定です。わずかに月曜日に、しかも発送センターのある茨城県土浦局の1日圏内地域から発注した場合に限り、辛うじて金曜配達になるだけです。もしその週内に祝日があったら翌週の月曜配達回し、と最悪のケースを迎えるはずです。取扱商品が販売独占の郵便切手だからできる凄ワザ、でしょうか。

今回改めて知りましたが、「翌営業日」とか「翌々営業日」というのがクセモノです。「翌日」「翌々日」とは、けっして言っていません。「護送船団」と非難された銀行業界が今でも使う日常語と同じです。それをもっと悪くした「親方日の丸」体質が、ひと昔以上も前に民営化されたはずの郵便事業に脈々と受け継がれていました。

いちおう民間企業ですが、日本郵便に物流会社の常識は通用しません。土日・祝祭日はネットショップも含む全社で営業停止します(郵便物集配だけは少し例外があるようです)。「ゆうパック」を看板商品としていますが、休日も配達するヤマト、サガワあたりに張り合う気概が見えません。これぞ武士の商法、いや、他に類例なき「郵政商法」でなくて何でしょうか。 

労働者の休日はもちろん重要です。しかし、休んでいる人がいても業務を続けることぐらい、どこの企業でもやっていることです。物流企業の自覚がまったくない日本郵便は、いずれ宅配事業から脱落せざるを得ないでしょう。「郵政解散」のとき小泉純一郎氏を信じて自民党を大勝させた私たちが愚かだった。今はそう諦観するほかありません。
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2016年07月25日

収穫あった今年の全日展

入場券.jpg7月22日から東京・錦糸町で開かれた全日本切手展に行ってきました。初日は雨模様の寒い日だったので敬遠、23日にブース漁り、24日はもっぱら展示を観察しました。今年はなかなか収穫の多かった2日間でした。

結局3店しか回れなかったのですが、ディーラーブースに座り込んでカバー類を引っかき回したのは数年振りのことです。特別軍事航空はがきの新種の第2例目を40年目にして発掘したのが最大の獲物でした。他は帰宅して照合し、いつもの例で「なーんだ」となるものばかり。タブレット導入-データ持ち歩きが喫緊の課題です。

渡会一裕さんのブースで、軍事郵便コレクターの森下幹夫さんと三木伸一さんを紹介していただきました。ユキオスタンプでは「清水の親分」長田伊玖雄さんの計らいで熊本の郵便で高名な立山一郎さんに初めてお目にかかれました。ここで飯塚博正さん、片山七三雄さんとも久闊を叙すことができました。共に、いつも教えを乞う郵便史仲間です。

日本郵便史の展示では、藤岡靖朝さんの関東大震災、志水正明さんと森下幹夫さんの軍事郵便、小林富士夫さんの中国東北郵便史が、いずれも興味深いものでした。メモを取りながら時間をかけて見て回りました。

藤岡さんは罹災地発着通信の復旧、横浜局再建過程、軍隊や民間団体の支援状況が分かる、地味に見えて貴重なエンタイアの取りまとめに膨大な時間をかけている様子がうかがえました。GANもやっている分野なので、うらやましいアイテムばかりでした。

志水さんは北清事変の天津印使用北京最初期エンタイア、日露戦争の陸海軍最初期軍事郵便、佐渡丸遭難の付箋エンタイアなどの珍品が光っていました。森下さんも張店第2、3局、青島滄口局、沿海州航路で使われた第3軍郵所出張員引受エンタイアなど未発表や1、2点しか知られていない希少軍事郵便が並んでいました。

とくに小林さんの大作には目を奪われました。カバー類の1点、1点がすべて「なるほど」と納得させられる意味のあるものばかりで、キャリアの長さがにじみ出ています。四平街第2(鄭家屯)や長春第2(農安)分室に斉斉哈爾城の書留便、吉林欧文印(KIRIN)など初めて見るような秘密局のカバーがズラリです。

奉天局第2分室(錦州軍郵所)為替変形印で引き受けた軍事郵便、奉天千代田通局の日中貼り替え便最終期カバー、営城子取扱所の会屯郵便、シベリア鉄道全通前のトロイツコサヴスク(キャフタ)経由便など、1点ごとにそれぞれ論文1編が書けそうな郵便史上の逸品が数多く、「眼福の夏」を存分に楽しませてもらいました。

この小林作品への評価が、な、な、なーんと、「大銀」。今年の審査員たち、ことに郵便史担当審査員のレベルの低さにあきれ果てました。GANが審査員だったら、これは間違いなく「金」。プレゼンがもう少し改良されれば「大金」だって射程内に入れています。居合わせた専門家の友人と「審査員がアホだから」「今年は運が悪かった」とあげつらって盛り上がりました。
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2015年07月21日

切手研究会の総会に出席

meeting.JPG7月19日午後、切手研究会の年次総会が耐震改装工事が終わった東京・浅草の産業会館内会議室で開かれ、GANも出席してきました。

切手研究会は1950年に三井高陽氏が創設した郵趣団体の老舗です。会員数は消長がありますが、お決まりの高齢化で実働約200人といったところ。毎年の全日本切手展に合わせて総会を開いています。今年は都内や周辺を中心に20人近くが参加しました(写真上)。

総会は秋吉誠二郎さんの司会で進められ、沢株正始さんが機関誌『切手研究』の編集状況と昭和時代の「コレクション逸品集」出版の新企画について、永井正保さんが今秋開催される三井記念美術館の特別展での三井コレクション展示についての発表がありました。GANも3年前に出版した『60周年記念論文集』をハードカバーの特装版として再発行する計画について報告しました。

NISHIMURA.JPG恒例の講演では西村壽一郎さんが「戦前の初日カバー」について話しました。版元が固定した継続的な初日カバー製作は、日本郵便切手会(JPSA)による1939(昭和14)年4月3日の厳島30銭切手が最初だそうです。実物が回覧されましたが、大ぶりの白封にゴム印銘押し(写真右)でした。

参加者からJPSAによる青色勅額切手分譲の話が出たことから、唯一の真正使用例とされる尾崎局の通話券について毎度の真贋論争が蒸し返されました。双方譲らず、初日カバーを脇に置いた「場外乱闘編」の方で大いに盛り上がりました。

いつもの総会ではセレモニーの後、簡単な酒食が出て懇親会に移るのが例でしたが、今回は公共施設という制約もあったのか、教室方式でお茶と和菓子の「清談」に終わりました。久し振りの収友の顔も多かったのですが、あいさつ程度で別れたのが残念でした。懇親会を「隠れた主役」とするような総会にした方がよいと思いました。
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2014年05月09日

再説・雑誌『郵趣』の貧困

YUSHU 93.jpg今年1月末にこのブログで、「雑誌『郵趣』の貧困」と題する駄文を書きました。たまたま、約20年前の『郵趣』1993年6月号(以下、「9306号」)の目次が出てきました。1月の前説を補強するデータが得られたので、再び駄文を重ねさせていただきます。

1、9306号には大小42本の記事が載っています。うち、「九・一八事変と抗日宣伝印」「郵便史ノート ビルマ(下)」「郵便史研究のフォアランナー」が郵便史の記事です。内容を見ないと分かりませんが、「南方占領地のマテリアル」も、あるいは郵便史関連かも知れません。

いずれにせよ少なくとも3本、96ページ中9ページ、つまり全体の約1割が郵便史に割かれています。これに対し、1月の前説で書いたように『郵趣』今年2月号(以下、「1402号」)の郵便史記事はゼロ%、1本もありませんでした。

2、前説で、1402号の大半を占めているのがトピカル・テーマティク関連記事だと書きました。では、9306号ではどうか。「モントセラト」「世界のロイヤルウエディング切手」「あるオリンピック切手の記録」「ヒマラヤに生息する希少動物」の4本です。これは郵便史より1本多いとはいえ、バランスの非常によく取れた量と言えるでしょう。

3、会員読者との交流、参加のページがわずか半ページしかない、協会・編集部との双方向性が見られないと、前説で1402号を批判しました。対する9306号はどうでしょう。「読者だより」「会員互助小広告」「JPS支部と例会活動の記録」などの「協会と会員・読者のページ」に8ページ、ほかに「JPS部会・例会紹介」2ページがあり、合計で10ページが会員読者の交流・参加に充てられています。20:1ではありませんか。現在の『郵趣』がいかに会員読者をないがしろにしているか、数字だけから見ても明らかです。

これほどの編集方針の劇的な変化(前説の「貧困」を、時系列的にとらえて「堕落」と言い換えてもよい)が、なぜこの20年間で起きたのでしょうか。日本郵趣協会(JPS)理事長・水原明窓氏が1993年11月に亡くなったことが最大の原因と思います。協会の向かいの鉄道中央病院で闘病中だったとはいえ、9306号は水原氏の実質指揮下で編集されています。

現在の協会は、口先だけは水原氏を讃え、「水原賞」の授与とか、「水原没後何年記念展」などを主催しています。でも、彼の精神に学ぶとか、目指したものを受け継ごうという意志などはまったくないのです。水原氏の業績について、GANは現在の協会とは異なる見解を持っていますが、それについては他日論ずる機会もあるでしょう。

ところで、「9306号の目次」など、なぜ今さら出て来たのか。GANが参考として切り取って保存していた『郵趣』の記事の裏に、たまたまそれがあったからです。果たして今日の『郵趣』に、後のちのため保存しておきたい記事がどれだけ載っているでしょうか。
posted by GANさん at 22:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑観・雑評 | 更新情報をチェックする

2014年03月20日

郵政博物館資料センター

ENTRANCE.JPG冬も終わろうという間際に風邪を引き、思いがけず1週間近くも寝込んでしまいました。頭がより一層ぼんやり・どんよりとし、文章が書けませんでした。ブログの更新を怠る結果になりましたことをお詫びします。

開業したばかりの郵政博物館資料センターへ行ってきました。印象は「遠い」「効率悪い」の2言に集約できます。

資料センターは千葉県市川市の行徳郵便局舎内にあります(写真右)。大手町から地下鉄東西線で20分、行徳駅下車後さらに徒歩20分かかります。利用時間は火-木曜日の10時-正午と13時-16時に限定されています。付近に飲食店は見かけませんでしたから、一日利用を考える人は弁当持参が無難です。


利用するためには5日以上前にネットであらかじめ「利用目的」「利用対象資料」を明記しての申請が必要です。「承認書」がメールで送られてくるので、印刷して当日持参し提示します。ちなみに、19日に訪問したGANの承認番号は「第2号」でした。


CORNER.JPGセンターでの利用方法は、従来の逓博での閲覧と基本的に同じです。1階閲覧コーナー(写真左)で、備え付けの資料リストにより、同時に3冊まで請求できます。3階執務室にいる係の女性が愛想良く資料庫へ探しに行き、持ち帰ってくれます。逓博時代と同様に整理状況はよくないようで、請求した通りのものが出てくるまで相当な忍耐心が求められます。1階と3階を結ぶ内線電話はありません。係が適当に回ってきてくれるのをひたすら待ちます。


逓博と異なる最大の点はコピーが許されないことです。ただし、閲覧者がページを押さえながらケータイやスマホでパチリとやるのは構わないそうです。


うーん、なかなか。お役所以上に見事なお役所仕事ではあります。情報公開などどこ吹く風。一般人などなるべく来ないでもらいたい、面倒な手間は取らせないでほしい、という思想であることがよく理解できます。「郵便史研究」を冠する団体も活動していることです。黙っている手はないだろう、と思うのですが。

スカイツリー展示場がどんなに華やかでも、こちらには郵政・郵便史研究への配慮は見られません。先人が蓄積した史料がともかくも散逸を免れたことに、GANなどは満足するしかありません。

posted by GANさん at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑観・雑評 | 更新情報をチェックする

2014年02月07日

新「郵政博物館」の資料閲覧

MUSEUM.jpg「テイハク」こと旧逓信総合博物館が公益財団法人・通信文化協会に移管され、「郵政博物館」と名前を変えて来月1日にスカイツリーの東京ソラマチで再開されます。

既に郵政博物館のHP画像=クリックでリンクします)も開かれています。しかし、私たち郵便史に関心ある者が知りたい膨大な文献資料類の行方については何も触れられていません。

通信文化協会に直接問い合わせてみたら今日返事が来て、「研究者を対象とした資料閲覧の対応は千葉県市川市の資料センターで行う。今年4月を目途に再開の予定で、時期が近づいたらHPで利用手順等ご案内します」とのことでした。

ブラックホールのような所に死蔵されて利用できなくなるのではないかとGANなどは心配していました。何と言っても官側の文献類が唯一残されている日本郵便史の宝庫です。利用の途は残されているようで、まずはホッとしました。

さらに調べて見ると、「市川市の資料センター」とは、そういう建物を作るわけではなく、現在の行徳郵便局の局舎を間借りするようです。同局が集配局から無集配局に替わったためスペースが空き、そこに保管するということで、利用者の使い勝手はあまり期待できそうにありません。

最も問題なのがアクセスです。東京メトロ東西線行徳駅が最寄り駅のようですが、大手町から25分がかりで行徳駅に着いても、歩いてさらに15分といいます。つまり、東京・埼玉・神奈川方面からだと、これまでより40分余計に時間がかかることになる。神奈川の奥地在住のGANは、うーん、ちょっと気が重いです。

「一部の好事家」に文献類を閲覧させても日本郵政グループ はもちろん通信文化協会には一銭のメリットもありません。特別の便宜まで図ってやる必要もなかろう、ということでしょう。「利用料」などは……取らないでしょうねえ、よもや。何と言っても協会の目的は「通信文化の普及・発展」が大きな柱だそうですから。

このあたり、実際にはどうなるのか。資料センターがオープンしたら、少なくとも一度は行ってみて、利用者の立場からリポートしてみようと思います。
posted by GANさん at 18:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑観・雑評 | 更新情報をチェックする

2014年01月31日

雑誌『郵趣』の貧困

YUSHU.jpg
日本郵趣協会の機関誌『郵趣』2月号が届きました。GANはいつも一見後、雑誌・段ボール回収日に出しています。保存に足る記事が無いのにスペースばかり取るからです。雑誌の生命である今日性や文献の本質と言うべき資料性の貧しさについては、別の日に譲りましょう。とりあえず、今号ですぐ目立つ不満の上位3点について述べます。
 
1、コンテンツがトピカルないしテーマに偏している。目次(画像=クリックで拡大できます)の上で大小31本の記事があるが、郵便史を内容とするものは、なんとゼロ本!! 編集者は郵便史という分野の存在を知らないか、少なくとも郵便史コレクターは無視して構わない、と考えているのではないか。90年代初頭までの水原明窗理事長存命時代との最大の違いはこの点だろう。

2、協会(あるいは編集部)と会員・読者との双方向性の考えに欠ける。読者が参加できるのは「読者のページ」の「おたより」と「ひとことミニトーク」だが、分量は全80ページの内わずかに半ページだけ。会員・読者の声を取り入れようとする姿勢が端から無い。記事は一方的に協会当局(あるいは編集部)から与えられるものだろうか。「機関誌」の名が泣きそうだ。

3、旧態依然のアナログ紙面に淫している。社会全体がデジタル化、IT化しているのに、紙面からはPCもろくに触らない団塊かそれ以前世代の匂いふんぷん。この世の中にはネットというものもある。連携・利用を図る努力をしているのだろうか。若者の郵趣離れを嘆く前に、取り入れるべき方向をこちらから模索しなきゃ。

編集部を監督する立場(と思われる)の出版委員会のお歴々の名前が巻末に毎号載っていますが、この人たちって、お飾りなの? 協会は会費(=購読料)値上げを決めたそうです。7,000円を払ってまで読みたい記事が今後は期待できるのか。購読していれば郵趣界の動向はすべて分かるか、収集のヒントが得られるか――。GANは悩んでいます。
posted by GANさん at 11:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑観・雑評 | 更新情報をチェックする