2014年04月17日

スマトラ宛ての返戻便

SUMATRA.jpg日本軍占領下のスマトラ島メダンに宛てた楠公5銭はがきです。日本が降伏する直前の昭和20(1945)年8月2日に山形・宮内局で引き受けられています。

このはがきは、現在の野村證券の東インド(旧蘭印)子会社に宛てた民間人同士の普通郵便です。いったん交換局の門司局まで送られた後、同局で「送達ノ見込ナキニ付一応返戻ス」という謄写版印刷の付箋を付け差出人に返戻されています。返戻時期が分かりませんが、文言から8月15日以前ではないかと思われます。

料金の5銭は内地料金と同額です。42年秋に南方宛て民間郵便を開始したさい、「料金は当分内地並みとする」ことが定められました。結局、政治判断やコスト問題(軍用船を利用するので逓信省側の負担がない)もあって、最後まで「内地並み料金」は維持されています。

このはがきは宛名が全文片仮名で書かれていてユニークです。南方宛て郵便物は漢字の場合、振り仮名を振るよう規定されていました。片仮名なら現地人の郵便職員にも理解できたでしょう。地名が「千代田通北1丁目」と日本式に引き写して改称されている点も併せ、占領政策を物語って興味が持たれます。

当時、日本本土周辺の制海・制空権は米軍に握られ、大陸への航路はおろか、内地を結ぶ青函連絡船さえ運航停止していた時代です。南方への一般郵便物を輸送する貨物船など、船腹不足はもちろん、運航計画さえ立てられなくなっていたと思われます。

しかし、南方宛て郵便物が窓口で引き受け拒絶に遭わず、このように交換局まで送られていることは、送達停止の事態が一般の郵便局にも通知されていなかったことを意味します。戦局の不利を国民に悟らせないため、公表しないままでいたのでしょう。

南方占領地への郵便がいつから途絶したのか、明確な資料は未見です。45年に入って、なし崩し的に送れなくなっていったのではないでしょうか。付箋は「当分ノ間」「一応」としていますが、結局、日本郵政による南方への逓送は再開できませんでした。45年11月16日に始まる「復員郵便」は、米軍の軍用船によるものです。
posted by GANさん at 23:53
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