2014年05月21日

楠公はがきを比島で使用

BAGUIO.jpg日本軍占領下のフィリピン(当時は「比島」)から日本に宛てたはがきです。楠公2銭はがきがいわゆる「占領加刷」などなく、そのまま使われています。

比島を占領した第14軍司令部の「軍政実施概況報告」第23号(昭和17=1942年8月31日)によると、比島の普通局が扱う島外との郵便が42年10月1日から書状とはがきに限定して開始されました。

宛先は「大東亜共栄圏」内の各地、用語は日本語か日本字またはローマ字に限られ、結局は日本人しか利用できない制度でした。これにより、従来の野戦郵便所による在留邦人の郵便の臨時取扱は終わります。

この「報告」には料金率が示されていません。しかし、当時の逓信当局と軍部の政策では「占領地内外の郵便は共に可能な限り日本の内国料金・制度と一致させる」認識が共通していました。書状5銭、はがき2銭のレートは日本と同様に44年3月まで続いたはずです。

TUISOU.jpgこの楠公はがきはマウンテン州バギオ局で1943年5月24日に引き受けられています。不鮮明ですが、「比島憲兵隊/検閲済」の角印はマニラで押されたのでしょう。

この時期には2センタボ「正刷はがき」が既に出回っていました。持ち込み使用でしょうか。差出人は戦前から在住していた民間人のようで、そうは見えません。

土屋理義氏『南方占領地切手のすべて』や、同氏が担当したと思われる2012年版日専カタログには「比島には日本の切手やはがきは配給されなかった」旨の記述があります。しかし、これらに根拠は示されていず、大きな?が付きます。過去には下画像(下部コメント欄第7項参照)のような例も発表されています。

DAVAO.jpg防衛省戦史室に「南方地域所要葉書切手追送ニ関スル件」(42年8月4日付陸亜密受7308号)という書類が残されています。

これによると、香港、比島、ビルマ、マライ、ボルネオの5地域に2銭葉書や5銭切手などを送るよう、陸軍省副官が陸軍需品本廠に対し数量を示して指示しています(上画像=クリックで拡大できます)。

指示が出されても結果的に切手類が現地に着かなかった可能性もあります。しかし、少なくとも当時の陸軍が南方占領地で日本切手やはがきを使わせる意図があったことは明らかです。

実際に着いたのか、着かなかったのか。検証しないで結論は出せません。GANは今のところ、これらのはがきは比島の郵便局で正式に発売されたものと考えています。
posted by GANさん at 23:38
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