2016年11月17日

怪しいクラ線「鉄道郵便」

今年3月11日に「『泰緬鉄道郵便』の真実」と題する記事を載せたところ、意外に反響があることに驚きました。とても一般的とは言えないテーマなのに、本ブログでは珍しくほとんど毎日この記事が閲覧されています。意を強うして続編を記すことにしました。

泰緬鉄道郵便なるものが実在すると主張する南方専門家の人たちは、「クラ地峡横断鉄道(クラ線)でも泰緬鉄道と同じ性格の郵便が行われていた」と言っています。しかし、GANはこのクラ線の郵便も、泰緬鉄道郵便と同工異曲のニセモノと考えています。今回はそれについて考察します。

クラ線とは、マレー半島最狭部である南部タイのクラ地峡を東西に横断してタイ湾とアンダマン海とを直結する鉄道を言います。太平洋戦争中、日本軍がビルマへの軍需物資補給ルートとして泰緬鉄道と共に計画しました。1943年12月にタイ鉄道南部線のチュンポンを起点にカオファーチまで94キロを開通させています。

このクラ線で使われた郵便印として3種が発表されています。まず「クラ線/鉄道郵便」と表示された円形印と楕円形印で、共に西暦による欧米風の日付表示が異色です。それと「チュンポン/クラ線」と表示されて日本紀元(皇紀)の年号に月と日を手書きする、これも特異な二重丸印とがあります。

Kla.jpgクラ線の郵便について日本語の文献としては、南方占領地切手の権威・土屋理義氏が『泰緬鉄道の「軍事郵便所」郵便』(日本郵趣協会)で言及しているだけのようです。土屋氏はクラ線のエンタイア11通を実際に検証したとして、「クラ線/鉄道郵便」印(上図=同書から引用)について次のように解説しています。
「鉄道郵便」という表示から、チュンポン郵便所が扱う郵便は、為替送金や郵便貯金ではなく、鉄道郵便が主体であったと思われる。
短いにもかかわらずとても難解な文章です。その原因は著者(土屋氏)の鉄道郵便についての根本的な認識不足、はっきり言うなら無知のせいだと思われます。強いて著者の意図を忖度すればここは、「チュンポン郵便所は鉄道郵便局的な性格が強く、為替・貯金業務は扱わなかった。消印にある『鉄道郵便』の表示がそれを示している」とでも言いたかったのでしょう。

「鉄道郵便」印とは、基本的に郵便車(室)に乗務する専業の鉄道郵便係員が車中で扱った郵便物であることを示すために使う日付印を指します。そして、車中取扱いとは、具体的には沿線局との郵便物の授受、郵袋の整理や郵便物の区分、鉄道駅構内や列車乗客から直接差し出された郵便物の引受処理などを指します。郵便逓送の速達と積み卸し局での負担軽減が主目的です。

日本郵便史上で鉄道郵便係員が為替・貯金を扱った事実はありません。鉄道郵便は本来為替・貯金業務とは関係なく、技術的常識からも導入が検討された事実は形跡さえありません。恐らく外国でも同じでしょう。「鉄道郵便」印を題材にして為替・貯金取扱いの有無を論ずること自体が無意味で、土屋氏の解説は鉄道郵便への無理解ぶりをさらけ出すものです。

Kla-2.jpg右図は楕円形「クラ線/鉄道郵便」印(上図中央のPC2)の一部が料額印面左下部に押されたはがき(土屋理義氏提供によるM氏展示品コピー)です。土屋氏は「現存1点の使用例」としています。

根本的な問題は、土屋氏がこの消印はチュンポン郵便所で使われたと明記している点です。列車(クラ線)で運ばれた郵便物だから、チュンポン郵便所で「鉄道郵便」表示の日付印を押して引き受けた、と土屋氏が認識していることです。

これは鉄道郵便というものを知らない「トンデモ見解」というほかありません。鉄道郵便印の印顆は鉄道郵便係員しか携行せず、チュンポン郵便所のような定置局にはありません。チュンポン郵便所がこのような日付印を郵便物に押すことも当然ないのです。

前述したように、鉄道郵便印が使用されるには、(1)まず郵便車が運行され、(2)その車中で係員が郵便物を取り扱うこと、が前提です。かりに一般の貨車に積まれた郵袋がチュンポン郵便所に持ち込まれて個々の郵便物に日付印が押される場合があっても、それはチュンポン郵便所印であり、鉄道郵便印ではありません。

ところがクラ線では郵便車を運行した事実自体がありません。日本軍は仏印-タイ-マライを直通する長距離列車も運用し郵便逓送にも利用していました。しかし、それらの本線を含む一切の日本軍支配下の鉄道で車中取扱いはしませんでした。戦時下で車両も要員も制限され、サービスするリソースの余裕がなかったからでしょう。

クラ線は郵便需要の低い行き止まりの「盲腸線」で、わずかな本数の軍用貨物列車しか走りませんでした。日本軍の全占領地中、唯一この路線だけに郵便車を持ち込んで車中取扱いをする理由などありません。クラ線の鉄道郵便取扱などなかったので、「クラ線鉄道郵便」と称する印やそのカバー類はすべて空中楼閣的な意味でのニセモノです。

蛇足になりますが、上図の円形印や楕円形印にある「NOV.」(英語November=11月=の略)や「DEC.」(December=12月=の略)のように日付を欧文で表示することは日本郵便史上の知見に反します。ニセ印であることを示す傍証の一つと言えるでしょう。

マライ・スマトラ占領地の軍政に当たった第25軍は、1942年11月5日に、すべての通信日付印から「敵性言語」であるラテン文字や欧文表示を追放するよう通牒を出しました(『富集団戦時月報』昭和17年11月号)。1年後に新調された日付印がこの通牒に従わず欧米式を踏襲する理由がありません。通牒を知らない者が作った架空印です。

欧米人が紹介した珍奇なアイテムというだけで無批判に受け入れて、こういう郵便史上の誤り、というより「無知」を曝す結果になりました。「南方専門家」を自称する日本人収集家の方々は欧米文献に依存しない独自の郵便史的情報をどれだけ積み上げ、郵趣界に提供して来られたでしょうか。すでに戦後70年も経過しているのに、それが見えないのが残念です。
posted by GANさん at 01:34
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