2017年01月29日

満鉄駅の電信取扱所

五竜背1.jpg湯山城1.jpg高麗門1.jpg張臺子1.jpg
萬家嶺1.jpg得利寺1.jpg





五龍背、湯山城、高麗門、張臺子、萬家嶺、得利寺……。聞き慣れない局名ですが、これらは郵便印ではなく、満州の電信専業局所の一種、鉄道停車場電信取扱所の日付印です。大正5(1916)年7、8月ごろ南満州鉄道(満鉄)の支線、安奉線を利用した旅行者が各駅で記念押印したもののようです。

関東都督府通信管理局(関東逓信局の前身)は満鉄と協定を結び、明治42(1909)年8月1日から満鉄本社構内と遼陽、大連、奉天など主要12駅に電信取扱所を設置して公衆電報の取扱いを開始しました。(外務省外交史料館蔵『関東都督府政況報告並雑報』明治42年7-9月期による)

満鉄線路沿いに架設されている鉄道専用電信を一般電信線に接続して旅客の利用に供しました。専任職員は置かず、駅員の兼務です。内地で既に実施されている方式にならったものでした。その後も観光地の駅や安奉線の駅にも増設を続け、明治期末に取扱所は24駅に開設されていました。

満鉄構内.jpg大連駅.jpg鉄道停車場電信取扱所の開設当初、日付印はA欄「満」、C欄駅名という形式でした。満鉄構内と大連の印影が知られています(右図)。

この記事の最初に示したようなA欄駅名、C欄「電信取扱所」という形式には大正初年に切り替わったのでしょう。荒井国太郎氏の諸論考や穂坂尚徳氏の労作『在中国局の和文印』にもこの形式はなく、これまで未発表だったようです

これらの電信取扱所印は電報賴信紙に貼られた料金相当切手の抹消印や駅構内限りで配達される電報送達紙に配達印として押されたはずです。しかし、いずれもエンタイアとしては未発表で、使用状況の実態は分かっていません。

この時期の満鉄駅委託の通信業務というと、もう一つ関連して未解明な問題があります。前記『政況報告』の明治41年1-3月期報告書によると、同年1月16日から「鉄道停車場郵便取扱所」なるものが開設されています。本線では臭水子、南関嶺、三十里堡、得利寺など13駅、安奉線では陳相、渾河、橋頭、孟家など12駅で、いずれも付近に郵便局のない不便地です。

「沿線居留民ノ増加ニ伴ヒ、之ガ(従来の鉄道郵便係員による)取扱ヲ拡張シ」、満鉄と交渉して駅員や一般民間人の便宜のためにこれら各駅で「郵便物ノ引受及留置交付ノ取扱ヲ為サシム」と記述されています。電信取扱所の設置以前に郵便取扱所という先行事例があったことになります。

この郵便取扱所が郵便物の引受に果たして独自の日付印を使ったのか、この種取扱いがいつまで続いたのか。--詳細は不明で、新たな資料の発掘が望まれます。停車場郵便取扱所が扱った、例えば「臭水子駅留置」などと肩書きしたエンタイアもあるはずです。その出現も併せて将来に期待したいと思います。

訂正】この記事の第5段落末尾で「これまで未発表だったようです。」としたのは誤りだったので削除します。委細はこの記事のコメント欄をご参照下さい。
posted by GANさん at 22:05
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