2019年11月25日

ハノイ憲兵隊の郵便検閲

河内-1.jpg仏領インドシナ(仏印)に進出していた総合商社の東洋綿花会社河内(ハノイ)支店から名古屋の本社に宛てた航空書状です。1943年(昭和18)3月20日にハノイ局で引き受けられ、東京とタイのバンコクを結ぶ日泰航空便に積まれています。

書状の裏面封じ目には櫛型印に似た「河内日本憲兵隊/検閲済/18.3.20」の青色大型印(下右図)が押されています。表面にも角枠「検閲済」の赤色河内-2.jpg小型印があり、中の「高橋」認印は憲兵隊の検閲担当者と思われます。ハノイで日本軍の検閲を受けたことが分かります。

この「河内憲兵隊検閲印」はずっと昔、『消印とエンタイヤ』誌の時代に報告がありました。しかし、GANには不思議でした。仏印は第2次大戦下でもフランス(ビシー政権)が主権を維持し、日本軍の占領を受けていません。邦人の通信とは言え占領地でもない仏印で、なぜ日本軍が検閲できたのか。

長年の謎だったのが、ごく最近になってようやく解けました。南部仏印と北部仏印、それと仏印同様に主権国家だったタイとの間で日本軍の検閲を認める計3件の現地業務協定があったのです。これまで公表されたことのな検閲協定.jpgかった秘密文書で、アジア歴史資料センター(JACAR)の公開資料から見つかりました(左図)

日本軍は「援蒋ルート遮断」を名目に、太平洋戦争開始前年の1940年から「北部仏印進駐」によりハノイに、そして翌41年の「南部仏印進駐」によってサイゴンにも駐屯していました。しかし、検閲は2次にわたる進駐時にではなく、開戦直後に日本軍が仏印当局に迫って締結した「日仏印共同防衛協定」に基づくものでした。

河内-3.jpg北部仏印での検閲の業務協定は42年6月19日に日本陸軍と仏印総督府の間で締結され、即日実施されました。日本軍と仏印当局はハノイとハイフォン(海防)の両局で郵便と電信の共同検閲を行う、日本人発受の通信はすべて日本側が、仏人や仏印人の通信は仏印側が検閲に当たる、など8項目が定められています。

この協定により、仏印在留邦人が差し出したり受け取る郵便物に限り日本の憲兵が合法的に検閲できることになりました。反対に、日本人以外の郵便物には、敵性あるもの(英、米、蘭側)を除いて日本憲兵も手出しできません。フランスの主権は辛うじて守られた形です。

今回の文書発見により「河内憲兵隊検閲印」は「北部仏印進駐」とは無関係であることが明確になりました。太平洋戦争開戦に関わる軍事的検閲という位置づけになると思います。
posted by GANさん at 04:23
"ハノイ憲兵隊の郵便検閲"へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。