
俘虜が発受する郵便物はUPU条約によって日露戦争以来無料でした。このはがきに貼られている陽明門45円と前島1円、計46円の切手は航空料金です。条約には航空扱い料金の規定がないため、臨時的に設定された料金の使用例となりました。幸い、戦後日本は戦争放棄したので、シベリアのケース以外に航空俘虜郵便は存在しません。
当時の国際航空郵便料金は1953(昭和28)年7月1日に改正され、ソ連を含むヨーロッパと中南米など第4地帯宛てのはがき料金は60円でした。しかし、このはがきには46円しか貼られていず、料金表にも「46円」は存在しません。なぜ14円の差額があるのでしょうか。
実は、第4地帯の60円という料金は、はがき基本料金と航空増料金(付加料金)を一本化した「併合料金」でした。基本料いくら、増料金いくらといった内訳は示されていません。しかし、利用者にとっては両者を調べて足し算をする必要がなくて便利です。
ところが、俘虜郵便の基本料金を無料にしようとすると、「では基本料金はいくらか」という問題を解決しなければなりません。1951年12月に併合料金制が導入されたさいには、恐らく、「航空扱いの俘虜郵便はがき」などという厄介な料金設定が必要になるとは、まさに「想定外」だったことでしょう。
そこで郵政当局がとった便法は、船便料金を便宜的に基本料金とみなし、航空料金から船便料金を差し引いた額を航空増料金と想定することでした。当時の国際郵便のはがき料金は一律14円でした。これにより、60円-14円=46円が第4地帯宛て「航空俘虜郵便はがき料金」として算出されたのです。
これらの事実は、『続逓信事業史』第3巻「郵便」編の「ソ連抑留日本人との郵便」という節に記述されていました。GANは未調査ですが、郵政省は1952(昭和27)年9月4日に「郵国第1340号」という通達で全国の郵便局にこの「特別料金」による取扱いを指示しているようです。
この設定がされた1952年当時の航空郵便料金では、第4地帯宛てはがきは125円でした。125円-14円=111円という、「111円レート」の航空俘虜はがきも存在したはずです。10ヵ月という短期間のためか、こちらは未発表です。また、ソ連は往復はがき以外には俘虜郵便を認めなかったので、書状の航空俘虜郵便は存在しません。