
東海地方ばかり1千通ほどの検閲解除印のはがきを調べ、改めて確認できたことが3点あります。
1、名古屋地区の検閲では、3種に細分できる丸型(円形)検閲解除印が併用されている
2、うち1種は一見して分かる名古屋地区での検閲だけの特異なタイプである
3、発信・到着のどちらの地区でも「検閲解除」処理が行われている
敗戦直後の日本に乗り込んだ米占領軍はまずマスコミと通信の検閲から占領行政を開始しました。総司令部(GHQ)で情報を担当する参謀第2部に属する民間情報部の外局として民間検閲局が開設され、その下部機関として45年10月1日に東京、大阪、福岡の各地区検閲局が設けられて郵便検閲が実施されました。46年1月に大阪検閲局の下に名古屋支局も開設されました。
米軍検閲では、逓送中の全郵便物の1割が無差別に抜き取られて検閲局に提出されました。検閲局は差出人や名宛てなどから簡単な判定をして「検閲すべき」郵便物をさらに2割選びます。残り8割は実際の検閲を解除releaseされて郵便ルートにそのまま戻されました。検閲を解除された郵便物に押されたのが検閲解除印です。

これを「名古屋型」と呼ぶ最大の根拠は、発信と着信が共に名古屋支局管内(愛知、三重、岐阜県)だけのはがきに押されていることです。この印のあるはがきは、東京や九州など他地区検閲局管内からの発信であっても必ず名古屋支局管内宛てであることも分かりました。これは検閲局提出郵便物の抜き取りが差出地だけでなく、到着地でも行われたことを意味します。この印が名古屋支局のものと確定したことによる三段論法的結論です。
この種の丸型検閲解除印は、既に森勝太郎氏(1955、74年)と裏田稔氏(1982年)が共に4タイプの存在を報告しています。「名古屋型」は第5タイプとなるはずです。GANはこれら各タイプを検閲局別に区別できると考えており、今回の名古屋型の同定はその仮説の明白な端緒になると思います。続きを読む