2020年04月30日

泰緬鉄道部隊の軍事郵便

5805ビルマ.jpg5805タイ.jpg1957年に公開された米コロンビア映画「戦場にかける橋」は旧日本軍の泰緬(タイ・ビルマ)鉄道建設をヒントにしたフィクション作品です。白人優位・アジア人蔑視が露骨で、絵に描いたような「ハリウッド娯楽」ものでした。モデルとされた橋を含むタイ自体がそもそも「戦場」ではなかったのです。

この映画が日本でも大ヒットしたため、映画ストーリーを史実と思い込んでいる残念な日本人もいます。南方切手の権威とされる土屋理義氏が典型で、(泰緬鉄道とは)映画『戦場にかける橋』で有名になった鉄道である、などと自著『南方占領地切手のすべて』(1999年)で堂々と「解説」しています。

土屋氏がご存じないだけで、映画のずっと以前から難工事の末に短期間で建設された戦略鉄道として、日泰関係史や戦史研究者らに注目されていました。イギリス、オランダなどの俘虜や現地労務者を使役して虐待や疫病で多数の死者を出し、戦時中から「死の鉄道」と連合国側に非難されて多くの戦犯処刑者を出したことでも有名でした。

GANは泰緬鉄道の建設や運営を軍事郵便など郵便史の上から示すことはできないかと関連アイテムを探求してきました。この作業で根本的に難しいのは、泰緬鉄道の関与部隊名を示す根本史料が現存しないことです。戦犯追及を恐れた陸軍が敗戦直後に東京と現地で、泰緬鉄道を含むすべての軍事資料を組織的に焼却し尽くしてしまったためです。

史料不足の中で唯一確かなことは、泰緬鉄道建設部隊として第2鉄道監部、鉄道第5聯隊、鉄道第9聯隊、第4特設鉄道隊、第1鉄道材料廠などから成る「南方軍鉄道隊」が編成された事実です。このプロジェクトチームは1943年2月に大本営が建設工期短縮を命令したのを受けて発足しました。鉄道隊を支援するため、多数の兵站・補給部隊も臨時配属されました。

この鉄道隊の編成は天皇の裁可を受けた軍令にはなく、南方総軍の命令によったと見られます。臨時の編合部隊であり、正式な戦闘序列が発令された部隊ではありません。しかし、南方総軍の命令原文は焼却され現存していないため、鉄道隊本隊も支援部隊も、正確で具体的な部隊名は断片的にしか分かっていません。

鉄道監部は複数の鉄道部隊を指揮するためだけの小規模な司令部組織で、鉄道連隊と特設鉄道隊とが直接の建設実行部隊です。特設鉄道隊は鉄道省の技師を中心に臨時編成された専門家集団で、路盤構築、橋梁建設などの高度な設計・施工に当たりました。鉄道の工区は国境で二分され、鉄9聯隊と4鉄隊がタイ側、鉄5聯隊がビルマ側の担当となります。

泰緬鉄道は43年10月に全線開通し、その直後に南方軍鉄道隊は役目を終えて解隊されました。第2鉄道監部はインパール作戦準備のために鉄5聯隊を率いてビルマ方面軍隷下に転属・転進します。完工した泰緬鉄道の管理運営は、タイ側を4鉄隊がそのまま、ビルマ側を今度は鉄9聯隊が受け持ちました。両部隊は南方総軍の直轄下に戻ります。

前置きが長くなり過ぎましたが、ここからが本題です。鉄9聯隊の場合、42年6月から43年10月までは泰緬鉄道のタイ側建設部隊で、翌11月から敗戦後までビルマ側の管理部隊でした。つまり鉄9聯隊の軍事郵便なら、開戦直後のごく短期間を除くすべてが「泰緬鉄道のエンタイア」と言える、極めて分かりやすい部隊なのです。

上の画像で示した2通のはがきがその鉄9聯隊からで、共に戦地の夫から静岡で留守を守る妻に宛てた通信です。のはがきの発信アドレス「泰派遣岡第5805部隊」の「岡」は南方総軍隷下の部隊であることを、「5805」は鉄9聯隊を表します。書き込みから昭和18(1943)年10月6日発 → 11月10日前後着と分かります。は「ビルマ派遣岡第5805部隊」からで、昭和19年4月1日発 → 5月27日着です。

鉄9聯隊は泰緬鉄道完工に伴う上述の任務変更で、実際に43年11月27日にタイから国境を越えてビルマに入り、聯隊本部をタンビュザヤに置いたのでした(厚生省援護局編『鉄道部隊略歴』)。アドレスの変化が歴史上の事実に対応しています。2通のはがきは映画などとは無縁に、泰緬鉄道史の一端の事実を物語っています。
posted by GANさん at 22:35| Comment(0) | 軍事郵便(陸軍) | 更新情報をチェックする