2020年08月29日

郵研時代の思い出を発掘

終活を兼ねて身辺整理をしていたら、写真がポツンと1枚出てきました。学生が大勢写っていて、裏に「(昭和)35年度春期郵研総会 35.5.7 山上食堂にて」とあります。むかし大学郵研にいて、キャンパス内の食堂でこの会場作りを手伝った記憶が一気に蘇りました。

切手研3.jpg

GANが東京の大学に入って真っ先に訪ねたのが郵便切手研究会の部室でした。高校時代は地元の郵趣会に入っていたので、「ビードロ、まりつきの世界にドップリとはまれる」と勇んだのです。入会手続は無事済ませたはずですが、その後がもういけません。いつ部室に行っても、だれもいないのです。

1年生の教養課程は本部キャンパスとは別だったので、そうそう毎日通ったわけでもないのですが、とにかくだれとも会わない。いや、正確には時に一人だけいました。あんパンみたいな学帽をかぶった新入生同士です。今は名前も忘れましたが、よく同じバスで帰りました。魚籃坂(ぎょらんざか)下のバス停で乗り、彼は柿の木坂、GANは自由ケ丘で降りていました。

バスの終点は等々力(とどろき)だったので、世田谷局等々力分室に行って速達の実逓便でも作っておけばよかったと、今なら思います。当時は等々力に分室があることも、「エンタイア」という言葉さえ知りません。何の活動もないまま退会しました。といっても、ただ部室に行かなくなっただけのことですが。

60年安保闘争が最高潮の「政治の季節」でした。連日のように行われた国会包囲デモに、ノンポリ(政治無関心層)学生のGANもよく参加しました。「安保! 粉砕!」「岸を! 倒せ!」。最近辞めた首相のトラウマにもなったようですが、彼の祖父(当時の首相)を引きずり降ろす何万、何十万人ものシュプレヒコールで議事堂を震わせました。

登校はしても、各クラスで「デモ参加のため今日は授業放棄」と決議し、ぞろぞろと霞ヶ関に向かうのが日常風景でした。郵研が空白状態だったのも、今から考えると当然だったのかも知れません。これとは真逆に、丹下、児玉、山崎、小林氏らを輩出して大学郵研が黄金時代を迎えるのは1世代後のことです。

改めて写真を見返すと、講師にお迎えした三井先生(三井高陽元教授、切手研究会会長)を中心に、まだ初々しいGANも含めて学生20人ばかりと、OBらしい背広姿の数人も写っています。そして何と、先生の右側に一番弟子然と構えているOBは荻原海一氏ではありませんか。60年も経って初めて気が付きました。

荻原氏は既にドイツ建物切手で注目の若手収集家だったはずですが、むろんGANはそんなこと知らず、同席した認識さえないのです。奇縁で知り合い、同分野での無二の収友となったのは、写真から4半世紀ほど過ぎてからのことでした。1枚の写真が思わぬ過去を発掘してくれました。本人に伝え興じ合う術の、今はないことばかりが残念です。

(荻原氏については、本ブログ2016年9月9日「荻原海一さんを悼む」をご参照下さい。)
posted by GANさん at 22:20| Comment(0) | 主張・雑感 | 更新情報をチェックする

2020年08月26日

軍事小包は公用? 私用?

シベリア軍事小包.jpg小包郵便物の引受を証明する郵便物受領証です。シベリア出兵時に満洲里に開設された第7野戦局で大正8(1919)年8月20日に引き受けられました。「測量手」から武市野戦局気付で個人に宛てています。

宛先の「武市」とはロシア黒竜州の州都・ブラゴベシチェンスクのことです。明治以来多かった在留邦人の間でこう略称されていました。シベリア出兵では第12野戦局が開設されました。つまり、この小包は第7野戦局から第12野戦局への戦地間小包です。

シベリア出兵では軍事小包郵便も扱われましたが、公用に限られ、私用は扱いませんでした。根拠は次の告示です。 
大正8年3月25日 逓信省告示第374号 (前略)当分ノ内山東、北満州及西比利亜(シベリア)方面ニ
付テハ私用小包郵便物ノ取扱ヲ為サス
一般に戦地からの公用小包は無料ですが、私用の場合は有料で、差出も極度に制限されていました。戦地からの私用小包の必要性はあまり考えられません。もし認めると、略奪品や横領品の輸送など不穏な目的に悪用される恐れさえあります。

この受領証に「公用」印はありませんが、「郵便料」欄が空欄で、無料だったことを示しています。「公用」表示がなければ一般的には私用ですが、無料であることは公用として扱ったことを示唆します。

仮に私用小包が許されたとして、受領証に書かれている500匁(約1.8kg)の小包を日本本土(内地)に送るには料金24銭が必要です。しかし、戦地発戦地宛てと発着が戦地間で完結する場合の料金は想定されていませんでした。さて、この小包は公用か、それとも「戦地間小包」として特例で私用でも無料とされたのか--。

この小包を発送した「測量手」は満洲里の兵站宿舎をアドレスとしています。シベリアや北満州派遣軍の所属ではなく、陸軍参謀本部陸地測量部の専門技術者(技手)でしょう。軍用地図作成のため東京から臨時派遣された測図班の一員と見られます。推測ですが、受取人も陸地測量部の同僚で、測量用器具の部品でも送ったのかも知れません。

戦地発公用小包の発送条件を明示した資料は未見ですが、原則は個人名でなく軍衙・部隊名による発送に限定されていたようです。軍衙や部隊からではないが、内容物や送付目的から私用でないことが明らかな場合も、公用に準ずるとして野戦局の判断で便宜的に受け付けることもあったことが考えられます。

結論として、この小包郵便はやはり私用ではなく、公用と考えられます。野戦局で扱う小包はすべて公用のため、敢えて「公用」印は押す必要がなかったのでしょう。軍衙・部隊からではなくその派遣員個人の発送だったため、この受領証は処分されずに残りました。シベリア出兵で軍事小包郵便が扱われたことを示す貴重な資料と思います。
posted by GANさん at 22:12| Comment(0) | 軍事郵便(陸軍) | 更新情報をチェックする

2020年08月14日

日本郵政扱い連合軍郵便

連合軍郵便_01.jpg今年、2020年は米軍が広島と長崎に原爆を投下して75年の節目の年でした。8月6、9日に開かれた両市での平和祈念式典でアベ首相が式辞を読み上げました。核廃絶に触れず、例年と一言一句同じ内容が、「お粗末すぎる」「恥ずかしくないの?」と厳しく指弾されています。

でも、GANには彼の気持ちがよく理解できるのです。「日本はアメリカの『核の傘』で守られている。核は必要だ」。たとえ10万人単位で父祖の命を奪われた両市の市民が目の前にいても、核廃絶の誓いなどするものか--。今こそすべての日本国民に告げます。我らがアベちゃんに「深く寄り添って、真摯に、しっかりと、」彼の真情を忖度すべきです。

現代の新型コロナの何千、何万倍にも勝る原爆の大惨禍を受けて無条件降伏した日本は、アメリカを主体とする連合国軍に占領されました。日本中に開設された米軍野戦局を経由して、米軍の軍事郵便やアメリカ内国料金分のアメリカ切手が貼られた郵便物が日米間と日本国内を自由に往復しました。日本がアメリカの郵政区域に組み込まれたことになります。

米占領軍発着郵便物の日本国内での引受、逓送と米軍基地内宛て以外の配達は日本郵政が担当しました。米軍発の公用郵便は原則として無料扱いです。書留、速達など特殊取扱料金までもが無料でした。これらの郵便物を郵政当局は「連合軍郵便」と呼び、部内には「日本郵便とは料金など取扱が違う」として「格段の配意」を指示しました。

連合軍郵便_02.jpg上のカバーは連合軍郵便の一例です。愛媛県松山市の米軍第2地区民事検閲局b分局(CCD松山)から書留・配達証明・速達郵便として発信されました。松山局では書留番号印だけ押して引受日付印は押し漏らしましたが、宛先地の宇和島局で昭和23(1948)年3月20日の配達印が押されています。

公用なので書状料金とすべての特殊取扱料金は無料となり、切手がまったく貼られていません。それでも未納ではないことを示すため、枠なし楷書体の「連合軍郵便」赤色印(右図)が封皮の右側に押されています。この印は米軍との郵便交換局(引受局)で押すように定められていたので、これは松山局の印です。

「連合軍郵便」印は荻原海一氏らによってこれまでに東京中央、横浜、広島駅前など8局が発表されていますが、局ごとにすべてタイプが異なります。交換局には米軍基地・施設所在地の延べ16局が指定されました。うち名古屋、佐世保、札幌局など少なくとも9局が未発表で、「松山型」は今回が初出です。

(本稿は久野徹氏「APOメール 改訂版」(1991年、『ボルドー』第19号所載)を参考にして執筆しました)
posted by GANさん at 01:27| Comment(0) | 太平洋戦争混乱期 | 更新情報をチェックする