2020年12月31日

華北郵政総局の貯金通帳

華北貯金簿.jpg日中戦争期に日本軍占領下の北京で日本居留民が中華郵政に預金した郵便貯金通帳(右図)を最近のヤフオクで入手しました。

中華郵政で貯金(儲金)と為替(匯業)を管理する「儲金匯業局」が製造した「郵政儲金簿」です。草色の表紙の中央に中華民国を表す青天白日章が大きくあしらわれて印象的です。表紙の内部は8枚の用紙が綴じ込まれ、貯金約款などの2枚を除く6枚12ページが帳簿部分です。

第3ページ目には通帳を発行した北京西長安街局の局名印と共に丸二箱形の儲金専用日付印(左図)が押されています。華北貯金簿3.jpg「郵政儲金/三十一年十二月二日/北京西長安街」とあり、民国31年、つまり1942(昭和17)年に発行されたことが分かります。記入された名前から預金者は北京在住の日本人と思われます。

華北貯金簿2.jpg帳簿の記入形式は当時の日本の貯金通帳とはかなり異なっています。見開いた左右2ページにわたって横書きで出納をペン書きし、職員2人の確認印が押されています(右図)。金額の記入が日本のような押印でなく手書きなので、正確を期して別の職員が確認、証明するのでしょう。

発行当日の12月2日に中国聯合準備銀行券(聯銀券)で50元を預け入れて「存伍拾元」、翌1月8日に大部分の49元を払い戻して「提肆拾玖(49)元」と記入されています。これは「何かの時の用意として念のため通帳だけ作っておく」典型的なやり方です。聯銀券1元は日本の1円と同値とされていました。

北京を含む華北占領区には日本軍の主導で1938(昭和13)年8月15日に華北郵政総局が開設されました。南京から逃れて昆明に移動した国府郵政総局の地方機関という形式をとりながらも事実上は独立した存在です。それと明記はされていませんが、この通帳も「華北郵政総局の儲金簿」ということになります。

華北郵政総局.jpgこの儲金簿表紙の右上部には大型の紫色印(左図)が押され、不鮮明ながら辛うじて「建設華北 完成大東亜戦争儲金/華北郵政総局」と読めます。日本側の要求で41年末から続けていた貯蓄推進運動「大東亜戦争完遂貯金」の宣伝スタンプです。

日本郵政は「紀元2600年」や「シンガポール陥落」などのイベントを名分に絶えず貯蓄を呼びかけました。宣伝のため貯金通帳の表紙にシールやスタンプを押したその手法が、華北にもそっくり持ち込まれた形です。

ところで、華北占領区の中国主要局ではこのような国内郵政儲金のほか、日本郵政からの委託を受けて日本の貯金業務も扱っていました(本ブログ2016年12月14日「華北郵政に貯金を委託」参照)。この預金者が北京西長安街局でも扱っていた日本貯金でなく中華儲金を選んだ理由は不明ですが、使い方から見てスペア(予備)用だったのかも知れません。
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2020年12月16日

フロレス島現地印刷葉書

フロレス葉書2.jpg南方占領地切手の珍品・稀品といえば「フロレス暫定切手」が定番の一つですが、ひょんなことから手持ちの軍事郵便はがき(左図)がそのフロレス島の同じ印刷所製だったことが特定できました。

太平洋戦争中、南方に派遣された兵士が使った軍事郵便のステーショナリー(便箋、封筒、はがきなどの紙製文具)には日本内地製のもののほか、明らかに現地製らしいものを見かけます。GANは南方現地製はがきを料額印面部のデザインによって☆系、□系、ゼロ系(☆も□もない)の3系統に分類、整理しています。

先日、収友で旧蘭印地区占領切手専門家の増山三郎氏から「オランダの南方切手グループで青木好三氏の旧著を復刻する計画がある。青木本に載っているのと同じ軍事郵便はがきを持っていないか」と照会がありました。青木氏は既に故人ですが共通の収友で、やはり南方切手の専門家でした。

幸い増山氏の要望には応じることができ、その過程で思わぬ知見も得られました。青木氏の本とは、このブログの2017年11月10日の記事「バリックパパンの櫛型印」でもご紹介した『私録じゃがたら郵便/占領中の旧蘭印での郵便』です。青木氏はこの中でフロレス島暫定切手の製造状況を詳しく調べていました。

フロレス(フローレス)島とは、インドネシアのバリ島とチモール島の間にある小スンダ列島の1小島です。青木氏によると、島には戦前からカトリック教会付属のArnoldusアーノルド印刷所があり、ジャワ島より東では最大の規模でした。日本軍占領下で暫定切手を印刷したほか日本軍兵士用の軍事郵便はがきも印刷しました。

フロレス葉書_4.jpgその使用例が同書に掲載(右図)されていたのですが、これまでGANは見過ごしていました。今回の増山氏の件で私蔵の1点が掲載品と同じ、まさにこのアーノルド印刷所製と知りました。旧蘭印地区では現地製の多彩な軍事郵便はがきが使われています。今後の調査によっては、さらに他の「アーノルドはがき」を同定できるかも知れません。

に示したはがきは薄紅色のやや厚手用紙に赤褐色で活版印刷されています。平仮名活字がないので「はがき」を漢字で代用しているのが特徴です。発信アドレスの「セ32 セ12」は南ボルネオ・バリックパパン所在の第102海軍燃料廠を表しています。小スンダ列島は海軍の担当地区だったので、このはがきに陸軍使用例はないはずです。

南方現地製軍事郵便はがきは蘭印地区に限らずマライ・スマトラ、ビルマ、フィリピンなどの各地でいくつもの系統が確認できています。物資不足の内地事情を勘案した日本軍の「現地自活」策の一つでしょう。当時の日本内地では製造されていない特異な紙質、平仮名活字「はがき」の異様なフォントが最大の見分けポイントです。

日本軍占領地区で操業できた印刷所の数は限られていたはずです。今回をヒントに、南方現地製軍事郵便はがきの製造所を調べる意欲が湧いてきました。きっかけを与えてくれた増山氏に感謝!です。
posted by GANさん at 21:26| Comment(0) | 南方戦区 | 更新情報をチェックする

2020年12月07日

大演習部隊への特別配達

演習地配達改5).jpg日本陸軍は日露戦争前から日中戦争前までのほぼ毎年秋、「陸軍特別大演習」を実施していました。天皇が統裁したので演習地に臨時の大本営が仮設され、「特別大演習/大本営内」の櫛型印や特印が使用されたことで郵趣家にはよく知られています。

1913(大正2)年の大演習は11月12~18日に名古屋地方で実施され、第3、9、15、16師団が参加しました。右のはがきは演習地にいる京都第16師団に属する歩兵第9聯隊(大津)兵士に宛て、ごく少数で大津の兵営に残って留守を守っていた同僚兵士からの発信です。
T2演習地配達-2.jpg
はがきは大津局で大正2年11月13日に引き受けられ、宛名は「名古屋郊外のどこそこ」といった地名ではなく、所属部隊の「歩兵第9聯隊」が書かれています。これだけだと差し出した大津兵営にそのまま配達されてしまいます。そこで、右肩に赤色鉛筆で「演習地配達」(左図)の書き込みがあり、これがミソです。

特別大演習に参加中の兵士に宛て郵便を出す際、アドレスはどう書いたら良いでしょうか。演習では地名も定かでない森林原野を数日間にわたって激しく移動展開するので、場所を指定しての配達は不可能です。アドレスは部隊名として部隊本部に一括して配達し、あとは部隊内で配る方法が採られました。

1912(大正元)年度の大演習が迫っていた10月22日、逓信省は公達第124号で「陸軍特別大演習参加部隊宛郵便物取扱手続」を定めました。郵便物には「演習地で配達」する旨の表示をする、これらの郵便物は所定の集中局に集める、集中局は聯隊規模ごとに区分して配達局に送る、などの内容です。軍事郵便の配達方式を参考にしたのでしょう。

これにより、「(大)演習地配達」表記のある郵便物は、法令上の根拠を持つ特別な取扱方法に拠っていたことが分かります。このような「演習地配達郵便」をGANはこの1913年度から1936(昭和11)年度までの数例で確認しています。
posted by GANさん at 22:54| Comment(0) | 軍事行動 | 更新情報をチェックする