2021年07月31日

大阪と福岡の検閲解除印

大阪型改.jpg福岡型改.jpg日本は1945年に太平洋戦争で敗れ、事実上米軍のみによる連合国軍総司令部(GHQ)によって占領統治されました。GHQは日本国民の郵便と電信・電話を全面的に検閲しました。「米軍検閲」「占領検閲」などとも呼ばれます。

いったんは検閲ルートに乗せられ、検閲されずに戻される検閲解除郵便物も多数ありました。これらには丸二型の「検閲解除印」が押されました。GHQの民間検閲部は東京、大阪、名古屋、福岡の4地区で郵便検閲を実施し、検閲解除印もこれに対応する4タイプに分類できることが最近分かってきました。

このうち大阪型と福岡型という非常によく似たタイプの判別方法を報告します。名古屋型については、既にこのブログで2018年04月30日に「米検閲解除印に名古屋型」として述べました。東京型は他より一回り大型で簡単に区別できます。札幌でも検閲はされましたが、解除印は使われていません。

上に示した2通のカバーはに大阪型、に福岡型の解除印が押されています。大阪型カバーの日付印は不鮮明ですが、発信地から「大阪住道局 23年1月14日」と推定でき、秋田県宛てです。福岡型は「大阪西局 23年12月7日」印で引き受け、福岡市宛てです。このカバーの検閲(の解除)は到着地の福岡で行われています。

大阪-2.jpg大阪型と福岡型の本質的な違いは、金属印かゴム印か、です。大阪型()が櫛型通信日付印の金属製印顆に「検閲済」などの活字をはめ込んでいるのに対し、福岡型(左下)はゴム製の一体型です。このため、大阪型はリングが常に正円ですが。福岡型は押印の際の力のかけ方でリングにわずかなひずみが見られます。

また、通信日付印を流用した大阪型は、構造上からリングと「検閲済」欄の2本の桁線が離れています。福岡-2.jpgこれに対し、一体型の福岡型ではこれが完全に接しています。

違いの2点目は「検閲済」の字体です。大阪型は字体が長体(縦長)、福岡型は平体(横長)か正体せいたい(真四角)です。つまり、幅より高さが長い漢字は大阪型で、それ以外は福岡型です。

上の2印を例に取ると、大阪型印の「閲」字の実寸は幅4.5㎜、高さ6㎜で、縦横比は1:1.3の長体です。一方、福岡型印の「閲」は幅5㎜、高さ5㎜で、縦横比1:1の正体です。これらは一例で、すべてがこの比率ではありません。福岡型の多くは平体です。しかし、大阪型には長体以外はありません。

違いの3点目は「RELEASED BY」のDとBの間のスペースが大阪型では1文字分完全に空いていますが、福岡型ではほとんど空かずに詰まっています。「広いか狭いか」は相対的なので、白か黒かというほどの決定打にはなりません。しかし、補助的な判別法としては十分に有効です。

この他にも両者とも印色や直径、文字の大小などさまざまなバラエティがありますが、いずれも決定的とは言えません。

念のためですが、上に述べた大阪型の特徴は、大阪検閲局に属する名古屋支局で使われた名古屋型でもほぼ同じです。名古屋型が大阪型と異なる点は、①D、E欄に相当する三日月型の空白部分に「・」が入っているか、あるいは②「CENSORSHIP」のCとPが下部桁線に接する、のいずれかです。これは前記した「米検閲解除印に名古屋型」で一部述べました。

検閲解除印について初めて本格的に論究したのは森勝太郎氏「第2次大戦後の占領軍の郵便」(1974年)です。森氏はこの中で丸二型検閲解除印を3タイプに分類しました。現在よく参照、引用されている裏田稔氏『占領軍の郵便検閲と郵趣』(1982年)も森氏の分類をそのまま踏襲しています。

森・裏田氏の3分類を規準にすると、GANの地区別4分類との対応関係は次の通りです。
 RC3:東京型
 RC4:福岡型
 RC5:大阪型、名古屋型

posted by GANさん at 03:33| Comment(0) | 郵便検閲 | 更新情報をチェックする

2021年07月21日

戦艦香取に届いた英電報

電報_3.jpg英国ポーツマス軍港に停泊中だった日本海軍の戦艦「香取」に配達された電報です。軍艦郵便ならぬ「軍艦電報」でしょうか。久びさのヤフオク落札品です。

昭和天皇は皇太子だった裕仁親王時代の1921(大正10)年に当時の同盟国イギリスなど西欧5ヵ国を訪問しました。電報_1.jpg外国王室との親交、帝王学修得の一助が目的とされます。皇太子の乗艦が香取でした。

この航海と軍艦郵便については、本ブログで既に書きました。関心のある方は2014年06月07日「皇太子訪欧御召艦香取」をご参照下さい。

電報の受取人は皇太子の公式随員だった東宮侍従で伯爵の亀井茲常これつねです。亀井は東京帝大を卒業して宮内省に入り、式部官、主猟官などを経て東宮侍従になっています。当時37歳、働き盛りのキャリア官僚でした。宮内省から語学・式典研究で英国に派遣された経験もあり、通訳としても期待されたと見られます。

「Count Kamei, Japanese Warship Katori」宛て5月16日12時25分に東京中央電信局から発信されました。約1日後の17日11時50分にポーツマス局に着電し、同局は鉛筆で転写した送達紙を専用封筒(上図の下)に納め、日付印を押して配達しています。艀はしけで軍艦に渡ったと思われますが、艀使用料もNO CHARGE無料です。

電文は「ご病気と聞いたが、大丈夫ですか?」という見舞状です。発信者は東宮大夫だいぶの浜尾新(元東京帝大総長、文相)の身内の人たちのようですが、よく分かりません。亀井を含む一行は到着後ロンドンに移り、電報が届いた5月17日にはオールダーショット陸軍基地などを訪問中だったようです。

なお、この「ポーツマス」はイギリスでも長い伝統を誇る軍港で、日露講和会議が開かれた米ニューハンプシャー州の同名の地とは別です。
posted by GANさん at 02:18| Comment(0) | 電信・電話 | 更新情報をチェックする