2021年08月31日

復員郵便と軍事郵便の間

表面.jpg裏面.jpgの葉書は「呉局気付 テ」など一見して海軍の軍事郵便に見えるアドレスですが、軍事郵便ではありません。いわゆる「復員郵便」で、そのごく最初期の使用例です。

復員郵便は日本が第2次大戦に敗れ、連合軍(実質は米軍)に占領された直後の1945年11月16日に逓信院告示第229号で定められました。戦地に派遣された軍人だけでなく、「外地(旧植民地と旧満州国・中国)」在住民間人も対象です。戦前の内国郵便と外国郵便、それに軍事郵便の3本をひとまとめにしたような形でした。

敗戦で日本本土と海外との間の定期的な郵便輸送ルートは一挙に断絶します。UPU条約による外国郵便は46年9月10日から部分的に再開されますが、復員郵便はそれまでの10ヵ月ほどの期間の暫定制度でした。日本人の復員・引揚船が出航するたびに郵便物を便乗輸送する不定期便がこの制度の本質です。

復員郵便は公用を除き当初は葉書だけに限られました。宛先と、民間人か軍人かの区別によって3種に分かれます。

 1、旧植民地(南朝鮮、台湾、南洋、関東州)と旧満州国・中国、小笠原・南西諸島の民間人宛て=内国料金(5銭)
 2、旧戦地・占領地の民間人宛て=外国料金(15銭)
 3、すべての地域(ただし旧満州国と関東州、北朝鮮、樺太を除く)の軍人宛て=内国料金(5銭)

旧満州国・関東州と北朝鮮、樺太はソ連軍によって占領され、日本軍人は俘虜としてソ連に連行されてしまったので、この制度発足当時は通信連絡の方法がありませんでした。千島は北海道の一部ですが満州などと同様にソ連によって占領されたので、事実上、復員郵便は適用されませんでした。

逆に、南西諸島は沖縄県と鹿児島県、小笠原諸島は東京都の一部でしたが、復員郵便の対象地になりました。ポツダム宣言により「日本本土に属さない島嶼」として本土から分離され、米軍の直接占領統治下に置かれたためです。

この葉書は制度開始から10日後の昭和20(1945)年11月26日に兵庫県魚橋局で引き受け、フィリピン・マニラ(テ21)の比島海軍航空隊(テ61)に宛てられています。3銭葉書に切手2銭を加貼りした計5銭料金は、戦前の戦地宛て軍事郵便レート(内国郵便と同額)を踏襲したものです。これが民間人宛てだったら外国郵便料金の15銭が必要でした。

葉書下部に米軍のいわゆる「金魚鉢」検閲印があります。日本人検閲員による日付のない検閲印で、最初期の使用例でもあります。ただ、比島海軍航空隊は1944年11月に壊滅しているので、留守を守る妻が差し出したこの葉書が受取人の夫に届くことはなかったと思われます。
posted by GANさん at 02:48| Comment(0) | 太平洋戦争混乱期 | 更新情報をチェックする