2014年02月02日

米英がウラジオで検閲?

Tomsk-1.jpg今日は日曜というのに郵便配達が来ました。届いたのは忘れかけていたeBayで落としたカバー(右図)でした。たぶん1ヵ月ぐらい前のことだったか、ギリシャの業者は悠揚迫らぬものがあります。

出品者は旧蔵の仏人コレクターの書き込みにより「セミョーノフ軍の検閲カバー」と触れ込んでいましたが、もちろんセミョーノフと無関係なことは先刻承知でした。反革命コルチャーク政権(オムスクTomsk-2.jpg政権)がまだ勢いがあったロシア内戦期、トムスクからパリに宛てたカバーです。革命政権の首都・モスクワやペテログラードを経て直行とはいかず、はるばる東方へ日本→北米経由の大迂回をして届いています。

旧露紋章切手計60コペックを貼り、トムスク1919(大正8)年2月10日引受、横浜19年3月1日中継、パリ到着19年4月14日は、まあ理解の範囲内。GANにはまったく解釈不能なのが検閲封緘紙です。英文で「Opened by Censor No. 12」と黒色印刷されています。

Tomsk-3.jpg「アメリカやイギリスを経由しただろうから当然」と考えがちですが、どっこい、このラベルにはウラジオストク局の検閲印(裏面の紫色ロシア語4行印=左図)がタイしているのです。つまり、この封緘紙が貼られたのは米英に着いてからではなく、ウラジオストクかそれ以前に米英当局の検閲を受けたと考えざるを得ません。

当時のウラジオストクには、日本のほか米英の干渉軍が出兵していました。その野戦局・軍事局が検閲した可能性がわずかに残ります。しかし、そんな面倒なこと、野戦の現場で実際にやるかなあ。GANはこれまで他に例を見たことが無く、大いに頭をひねっています。面白い研究材料を入手できました。

追記(2014.02.06) 英国の友人Ken Clark氏に問い合わせたところ、WW1検閲印の専門家Graham Mark氏の意見を聞いていただき、「英当局がウラジオストクで行った検閲」の封緘ラベルと分かりました。同氏の論文の該当個所コピーも送っていただいたので、目下鋭意解読中です。
posted by GANさん at 14:12| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア極東 | 更新情報をチェックする
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