
この電報は全文5行のテレックス印字のような英数字からなり、第3、4行目が本文です。4桁のアラビア数字1組で漢字1文字を表す、一種の暗号です。従って、この電文は12文字の漢字を表し、正確には欧文ではなく中文(中国語)電報です。今日のパソコンならIMEソフトが自動で漢字変換してくれますが、当時は膨大な厚さの換字表を繰って「解読」していました。
話には聞いていましたが、実際に漢字を送った電報というのをGANは今回初めて見ました。第1行目は発信に関する情報と思います。日本の上海電信局で受け付けたと推定しますが、発信時刻などは全く読み取れません。第2行目は宛先のはずですが、大連のどこなのでしょう。「1000」だけで住所・氏名を特定できるのでしょうか。
最後の行の「10.30M」は午前10時半に受信したことを表すと考えると、その後の「0.」も不明です。電報上部の鉛筆書き「陳松生」は受取人、「201」のナンバリング印字は配達番号なのでしょうか。柳条湖事件の約1ヵ月後で満州事変が始まったばかりの時期だけに、電文内容も戦乱に関連する取引関係かも知れません。いずれにしても分からないことだらけの電報です。

ただ、無集配局でも電報を配達した「根拠」なら分かります。この局の前身、大連局大桟橋出張所は1907(明治40)年6月の開設当初から、電報配達業務を指定された特別な局でした(『関東逓信三十年史』)。大連港利用の旅客や入港中船舶などへの便宜のためでしょう。1923(大正12)年7月に山縣通に面した大連取引所構内に移転・改称した以後もこの業務を維持しました。
それにしても、大連市内中心部に宛てた電報を大連局ではなく大連山縣通局がなぜ受信、配達しているのか--。この辺の仕組みの解明が、この局の特殊性を理解する一つのカギとなりそうな気がします。
以前、中国にて留学及び仕事しておりましたので、よしやってみようと。
今や、インタネット上で数字を検索すれば、一発で文章が出ますが、当時は分厚い本を見ながら受取人は書いていたのと思うと今の技術は進歩しましたね。
送る際はモールス信号で相手局に数字を伝えておりました。
0:トン、1:トンツー、2:トントンツー、3:トントントンツーツー、4:トントントントンツー、5:トントントントントン、6:ツートントントントン、7:ツーツートントントン、8:ツートントン9:ツートン。
それを受取局が聞き取り手書きをし、追加料金で今回のような印字です。
何はともあれ、返信をいただき感謝感謝です。お気に入り登録しましたので、いつでもGAN様のページを楽しみにしております。
母が亡くなったので、家族全員上海に来れるか返信ください。
という内容ですね。難しいです。。