2017年10月29日

龍岩浦野戦局が消えた?

丸一龍巌浦2.jpg日露戦争終結後、朝鮮から満州に宛てた公用の軍事郵便です。韓国・龍岩浦局の丸一印で明治39年(1906)8月29日に引き受けられ、即日満州の安東県野戦局に到着しています。つい最近のヤフオクで入手しました。

龍岩浦は朝鮮の最北西端に当たる鴨緑江河口南岸にある港湾です。現代では忘れ去られていますが、日露戦争当時は極めて時事的な地名でした。北清事変で満州を占領したロシアは更に朝鮮進出を目指し、鴨緑江岸の木材伐採を名目に03年8月に租借して砲台を築きます。日露が開戦すると第1軍がただちに龍岩浦を占領し、仁川-大連航路の重要な中継港としました。

その後、鴨緑江軍、遼東守備軍、遼東兵站監部、関東総督府などと所管が目まぐるしく変転しますが、龍岩浦には一貫して野戦局が置かれました。05年11月1日には関東第5野戦局となり、更に06年5月1日から他の野戦局と共に地名を名乗り「龍岩浦野戦局」に改称(右下図)されています。
龍岩浦野戦局.jpg
軍政機関の総督府は06年(明治39)9月1日から民政組織の関東都督府に切り替わります。同日の都督府告示第1号は全野戦局所の普通局への継承を定め、告示第3号で普通局55局の全局名を挙げています。

例えば、元の安東県野戦局は安東県支局(正確には関東都督府郵便電信局安東県支局)となりました。しかし、この中に「龍岩浦支局」の名はありません。06年8月31日に廃止されたまま継承されなかったと考えられてきました。

一方で、龍岩浦には06年3月20日に電信だけ扱う新義州局龍岩浦出張所が開設されました。3月19日に廃止する龍岩浦軍用通信所を継承するためです。同じ丸一型「龍岩浦/電信」印でも、06年3月19日までは軍用通信所、3月20日以後は普通局の龍岩浦出張所として区別されます。左図龍岩浦電信印.jpg明治38(05)年中なので軍用通信所印です。

龍岩浦出張所はさらに06年5月1日から郵便事務も開始し、7月1日には独立局に昇格しました。冒頭の軍事郵便書状は龍岩浦局として独立した時代の取扱いです。朝鮮の丸一印は独立局も出張所も形式上は同じなので、消印だけからは区別できません。
龍巌浦局.jpg
これら局所の改称・引継の複雑な推移を右表に示します。この表で〇で囲った〒は、その局所が郵便を取扱ったことを、〇で囲ったTは電信を取扱ったことを表します。

朝鮮総督府逓信局編『朝鮮逓信事業沿革史』(1938年)に「明治39年5月、龍岩浦に普通郵便機関を組織して野戦郵便事務を継承し、野戦局を撤廃した」という趣旨の記述があります。龍岩浦出張所が5月1日から郵便事務も開始したのに伴って、関東第5野戦局が4月30日限りで廃止されたように読めます。しかし、これは事実と異なります。

06年5月21日付逓信省告示第209号は「満洲、韓国、樺太の野戦局で軍事郵便のほかに普通事務も取り扱う」として、24局の野戦局名を列挙しています。この中に「龍岩浦野戦局」の名前もあるので、少なくとも5月21日までは存続していたことが確実だからです。

結局、5月1日以降の龍岩浦には龍岩浦野戦局と新義州局龍岩浦出張所との二つの郵便機関が併存し、共に軍事郵便を扱ったことになります。不合理な話ですが、何か特別な事情があったのかも知れません。龍岩浦野戦局はいつ廃止され、普通局との関係はどうだったのか。今後のエンタイアや新資料の発掘を待ちたいと思います。
posted by GANさん at 22:00| Comment(0) | 軍事郵便(陸軍) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください