
横浜局の櫛型欧文印は日本の欧文印の中では最もありふれた存在ですが、ここでは日付が問題です。櫛型印の使用開始は1906年1月1日からが常識なので、これは1ヵ月以上も早い使用例ということになります。どういうことでしょうか。
この当時、全国の郵便局では丸一型印(東京など一部の大都市の局では丸二型印)が使われていました。これらを改良し、局種や取扱時刻を明確にする形で新形式の日付印の採用が決まりました。円形の印影内に2個の櫛歯状の文様を含むことで「櫛型印」と呼ばれます。
通達上では05年6月20日の逓信省公達第369号で櫛型印22形式の導入が予告されています。続いて、同年11月15日に局種別・使用目的別に06年1月1日から段階的に交付する旨の通牒が出されました。「護謨ゴム欧文日附印は(06年)4月1日の見込」となっています。

公表より4、5ヵ月も早い使用は、初体験となるゴム製日付印の本格的導入に先がけての試行だったと見られます。外国郵便物の取扱量が国内最多の横浜、東京局で使って、使い勝手はどうか、どのように摩耗、破損するかなどを調べ、調達数の予測などをしたのでしょう。
実は櫛型印は05年に他でも2種類が使われています。日露戦争中に満洲で開設された軍用通信所の電信印と最初期の関釜連絡航路の船内局印です。これらはいずれも櫛型印としては小型で、硬質印でした。また、横浜、東京局は明治20年代後半に丸一型ゴム印を試用したことでも知られています。
丸一印時代まで印材の主流はずっと硬質印で、水牛角や柘植つげ材が多用されました。丸二印時代以降に研究が進み、櫛型印への形式変更を機に鋳鉄製硬質印とゴム印への全面切り替えが図られます。1910年2月前後の東京局でコルク製と言われる特異な彫刻型による欧文印を試用した例もありました。この時代は当局が日付印の印材に試行錯誤した時期と言えます。
欧文日付印は結局、鋳鉄印、ゴム印ともに一長一短があり、どちらが決定版ともなりませんでした。櫛型時代が終わり、三日月型を経て丸型印と形式が移り、インク浸透式が導入された今日でも両者の併用が続いています。