

クイズの正解は「弾丸切手」です。1942(昭和17)年6月8日に1枚2円の定額で発売されました。上の図は郵便局が配った弾丸切手推奨パンフレットと保管用の袋です。太平洋戦争開始からちょうど半年後のことなので、名前だけ聞いて、きっと銃砲弾を描いた切手だろうとか、兵器や軍需品の製造費に充てる寄付金付き切手ではないか、などと考えた人が多かったでしょう。

中国との戦争に加え、英、米、蘭(想定ではソ連も)を相手に無謀な太平洋戦争を仕掛けたので、戦費は底なしでした。日本政府はGDP(国内総生産)の数年分もの赤字国債を発行して当面を糊塗しました。経済力無視の借金付け回しで、戦中・戦後のハイパーインフレは初めから承知でした。しかも戦争の帰趨と無関係に元金の償還期限は確実に迫ります。
政府は国民に国債を買うよう必死に呼びかけました。郵便の標語機械消印にまで「兵は戰線/我等は国債」「求めよ国債/銃後の力」などが氾濫しました。しかし、国債を買えるのは富裕層に限られるため、国民大衆の零細資金に目を向けます。政府は日本勧業銀行に「大東亜戦争報国債券」を発行させ、さらに低額で逓信省貯金局にも発行させたのが弾丸切手でした。共に無利子ですが「売り」は富くじ付き。射幸心を煽って資金をかき集める政策です。

弾丸切手には据置貯金以外の使い道はありません。元金の償還や払戻はなく、据置貯金も申込み期限に遅れれば無効、4枚以下や発行時期が異なるものはいくら持ち合わせていても無効でした。貯金局には多数の購入者から使途への疑問や不満・苦情、改善意見などが寄せられていたようで、その一部の手紙や回答文案が国立公文書館に残されています。
そんな始末に負えない「クーポン券まがい」を、当局はなぜ「弾丸切手」と名付けたのか。説明する資料は見当たりません。GANが推測するに、富くじに「当たる」から「弾丸」、郵便局で売るので「切手」、というだけのこじつけでしょう。戦時下国民の愛国心を利用するだけして5年満期時にはインフレで無価値化、という底意も透けて見えます。低俗で姑息、しかも阿漕な官僚発想と言うほかありません。
恐らく弾丸切手はそれ自体で「自爆」してしまい、国債消化どころか売れ残り大失敗に終わったことでしょう。「弾丸切手がお国のため役立った」などという資料には、ついぞお目にかかったことがありません。行き場を失った多くの弾丸切手が80年近く経った今も、亡霊のようにネットなどの古物市場をさまよい続けています。
11本に1本が当たったのは事実ですが、当籤の9割までが4等2円です。今になぞらえれば、300円のジャンボ宝くじを3,000円買い、1本だけ当たった賞金が300円、ものすごい僥倖で仮に1等に当たっても賞金15万円にしか相当しません(今のジャンボなら5億円)。そんなくじに魅力を感じるでしょうか。
とにかく、戦争が終わっても、「弾丸切手はこれだけの売上があって、これこれに使われた」という報告がまったく見当たらないのです。その辺、もし何かご存じでしたら、お教え願えれば幸いです。
また、簡便で人気があってよく売れたようです。
いまでいえば、ロトくじやTOTO(サッカーくじ)のような感じだったのかもしれませんね。