
宛先の「武市」とはロシア黒竜州の州都・ブラゴベシチェンスクのことです。明治以来多かった在留邦人の間でこう略称されていました。シベリア出兵では第12野戦局が開設されました。つまり、この小包は第7野戦局から第12野戦局への戦地間小包です。
シベリア出兵では軍事小包郵便も扱われましたが、公用に限られ、私用は扱いませんでした。根拠は次の告示です。
大正8年3月25日 逓信省告示第374号 (前略)当分ノ内山東、北満州及西比利亜(シベリア)方面ニ一般に戦地からの公用小包は無料ですが、私用の場合は有料で、差出も極度に制限されていました。戦地からの私用小包の必要性はあまり考えられません。もし認めると、略奪品や横領品の輸送など不穏な目的に悪用される恐れさえあります。
付テハ私用小包郵便物ノ取扱ヲ為サス
この受領証に「公用」印はありませんが、「郵便料」欄が空欄で、無料だったことを示しています。「公用」表示がなければ一般的には私用ですが、無料であることは公用として扱ったことを示唆します。
仮に私用小包が許されたとして、受領証に書かれている500匁(約1.8kg)の小包を日本本土(内地)に送るには料金24銭が必要です。しかし、戦地発戦地宛てと発着が戦地間で完結する場合の料金は想定されていませんでした。さて、この小包は公用か、それとも「戦地間小包」として特例で私用でも無料とされたのか--。
この小包を発送した「測量手」は満洲里の兵站宿舎をアドレスとしています。シベリアや北満州派遣軍の所属ではなく、陸軍参謀本部陸地測量部の専門技術者(技手)でしょう。軍用地図作成のため東京から臨時派遣された測図班の一員と見られます。推測ですが、受取人も陸地測量部の同僚で、測量用器具の部品でも送ったのかも知れません。
戦地発公用小包の発送条件を明示した資料は未見ですが、原則は個人名でなく軍衙・部隊名による発送に限定されていたようです。軍衙や部隊からではないが、内容物や送付目的から私用でないことが明らかな場合も、公用に準ずるとして野戦局の判断で便宜的に受け付けることもあったことが考えられます。
結論として、この小包郵便はやはり私用ではなく、公用と考えられます。野戦局で扱う小包はすべて公用のため、敢えて「公用」印は押す必要がなかったのでしょう。軍衙・部隊からではなくその派遣員個人の発送だったため、この受領証は処分されずに残りました。シベリア出兵で軍事小包郵便が扱われたことを示す貴重な資料と思います。