
このはがき(左)は横型で、日本の官製はがきよりひと回りほど小型の7.5×14.2センチ

「ON ACTIVE SERVICE」は、直訳すると「軍事(戦闘)行動中」といった意味で、英軍と印、濠、加など英連邦軍ではこれを郵便物上に記すと「軍事郵便(無料)」と同義になるようです。米軍も記す場合は単に「FREE」とか「SOLDIER'S MAIL」などで、英文「FIELD POST」の軍事郵便物は見ません。
このはがきは1917(大正6)年5月13日に西部戦線の英第6野戦局(在フランス)で引き受けられ、縦楕円形赤色印で検閲を受けています。差出人の所属部隊は記入禁止でした。タイプ印書された受取人は東京の亀井伯爵夫人です。亀井家は旧幕時代の石見国津和野藩主でした。紫色鉛筆による漢字宛先は東京局外国郵便課に到着後、配達用に記入されたとみられます。
はがきの表裏に印刷、印字されている和英両文の説明などから推測すると、この軍事郵便は次のような多くの経過をたどったことになります。
① 日本の篤志家が英軍当局または直接イギリス海外倶楽部(クラブ)に寄付金を贈る。
② クラブは日本など海外からの寄付金を原資として「タバコ基金」を開設する。
③ クラブは和英文ではがきを作製し、日本の篤志家の宛先と名前をタイプ印書する。
④ クラブは基金を使ってタバコを購入し、はがきを同封して小包で前線に送る。
⑤ タバコ小包を受け取った兵士ははがきに礼状を書き、軍事郵便として発信する。
⑥ 英軍当局がはがきをとりまとめ、日本宛軍事郵便として発送する。
⑦ 日本郵政がはがきを宛先の篤志家に無料配達する。
⑧ 篤志家は自分の寄金が有効に使われたことを知る。

(https://www.worldwar1postcards.com/smokes-for-the-troops.phpより)
ところで、日英両国とも加入している万国郵便連合(UPU)条約は加盟国の郵便物を互いに逓送し合う義務を課しています。しかし、「通信事務」以外の無料郵便物についてはこの義務はありません。つまり、無料の軍事郵便は国際郵便物として扱えないのです。日本の軍事郵便制度でも国際郵便は対象外でした。
UPU条約では扱えないはずのイギリス軍事郵便がどうやって日本まで逓送されたのか、また日本郵政がこのはがきを「未納」扱いせず有効として宛先に配達した根拠は何か。--大きなナゾの残る郵便物ですが、この解明は別の機会にしたいと思います。