
中華郵政で貯金(儲金)と為替(匯業)を管理する「儲金匯業局」が製造した「郵政儲金簿」です。草色の表紙の中央に中華民国を表す青天白日章が大きくあしらわれて印象的です。表紙の内部は8枚の用紙が綴じ込まれ、貯金約款などの2枚を除く6枚12ページが帳簿部分です。
第3ページ目には通帳を発行した北京西長安街局の局名印と共に丸二箱形の儲金専用日付印(左図)が押されています。


発行当日の12月2日に中国聯合準備銀行券(聯銀券)で50元を預け入れて「存伍拾元」、翌1月8日に大部分の49元を払い戻して「提肆拾玖(49)元」と記入されています。これは「何かの時の用意として念のため通帳だけ作っておく」典型的なやり方です。聯銀券1元は日本の1円と同値とされていました。
北京を含む華北占領区には日本軍の主導で1938(昭和13)年8月15日に華北郵政総局が開設されました。南京から逃れて昆明に移動した国府郵政総局の地方機関という形式をとりながらも事実上は独立した存在です。それと明記はされていませんが、この通帳も「華北郵政総局の儲金簿」ということになります。

日本郵政は「紀元2600年」や「シンガポール陥落」などのイベントを名分に絶えず貯蓄を呼びかけました。宣伝のため貯金通帳の表紙にシールやスタンプを押したその手法が、華北にもそっくり持ち込まれた形です。
ところで、華北占領区の中国主要局ではこのような国内郵政儲金のほか、日本郵政からの委託を受けて日本の貯金業務も扱っていました(本ブログ2016年12月14日「華北郵政に貯金を委託」参照)。この預金者が北京西長安街局でも扱っていた日本貯金でなく中華儲金を選んだ理由は不明ですが、使い方から見てスペア(予備)用だったのかも知れません。