2014年03月06日

朝日新聞の無料飛行郵便

ASAHI-2.jpgASAHI-1.jpg一見してありふれた田沢3銭貼りの封筒に過ぎませんが、表面左側中央部の「飛行郵便」赤色印がいわくありげです。

引受は東京中央局昭和3(1928)年2月24日ですが、裏面を見ると、「大阪を2月23日の発信」です。わずか1日で東京に届くのは、確かに「飛行機輸送の郵便」しかあり得ません。

逓信省は1929年4月から「航空郵便」制度を実施しました。航空郵便では基本郵便料に加えて航空割増料金が必要です。しかし、この封筒には基本料金の3銭切手しか貼られていません。この点で、1年余り後の航空郵便とは根本的な違いがあります。航空郵便制度実施以前は、同じ意味の「飛行郵便」の方が多用されていました。

この封書を空輸したキャリアー(航空会社)は、大阪朝日と東京朝日の両社が共同運営する東西定期航空会です。逓信省は1925(大正14)年4月に民間各社に郵便物の空輸を許可していました。東西定期航空会もその一つで、大阪-東京という大幹線を独力で開発しました。小型貨物主体の定期路線を運行する当時最有力のキャリアーでした。

この書状の発信者は恐らく東西定期の運行予定をよく知っていて、出発予定時刻に合わせて、郵便局でなく大阪朝日の飛行郵便受付ポストに投函したのでしょう。東西定期では東京に着くと即刻、郵便物を東京中央局に引き渡しました。大阪からの書状なのに東京中央局の日付印で引き受けられているのはそのためです。

朝日新聞社の記録によると、東西定期航空会の大阪-東京線の運行は1923年1月から週1便の小荷物輸送で始まりました。1929年に国営の日本航空輸送会社が本格運航を始めるに際し、この路線を同社に譲渡して撤退しました。無料の定期郵便輸送は25年から29年までの4年間だけだったことになります。

無料輸送期の航空郵便は、郵趣家が作成したものは市場によく出回っていますが、このように実務的に利用された「コマーシャル・カバー」はなかなか見ません。航空輸送が社会的信頼を獲得していく過程を示すものとして、この封筒の資料性は高いと思います。
posted by GANさん at 18:00
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