2014年04月21日

干渉戦争前夜の北満邦人

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レーニンらによるロシア社会主義革命後の内戦初期、中国・北満州最奥地の在留邦人が日本に宛てたロシア郵政のはがきです。1918(大正7)年夏の革命干渉戦争(シベリア出兵)前夜、日・中・露の3ヵ国をまたいでいます。近年のeBayで入手しました。

北満最北の都市・黒河に居留する日本人が黒龍江(アムール川)対岸のロシアの都市・ブラゴヴェシチェンスク(日本人間の略称:武市)で出した大正7年の年賀状です。帝政ロシアの外信用4Kはがきに紋章切手で4Kを加貼して8K料金としています。ケレンスキー政権時代の前年9月1日の料金改訂で、外信はがきも従来の4Kが2倍に値上げされたためです(RT氏のコメントを受け、この部分は修正しました=15年1月)。

宛先は日本語で墨書し、さらに露語で「日本 仙台宛て」のペン書きも加えられています。引受印は武市1917年12月21日(西暦1918年1月3日)。ウラジオストクで軍事検閲(裏面紫色角型印)を受け、敦賀1月21日を経て仙台で1月23日の配達です。この厳冬期に20日間で届いたのは、まずまずの速度でしょう。

武市からウラジオストクまでは鉄道を利用できました。発信者が黒河の中国局でなく、対岸のロシア局を利用したのはそのためです。黒龍江は大河ですが、冬期結氷すると徒歩で簡単に「渡河」できました。逆に、黒河から斉斉哈爾局なり哈爾賓局への内陸部を逓送したら、冬期は大変な日数を要したはずです。

この頃の武市や黒河には商人など数百人の居留邦人がいたようです。2ヵ月後、反革命コサックと日本人「自衛団」が結託して武市の革命政権の武力転覆を謀った「ブラゴヴェシチェンスク事件」が起きます。「自衛団」は敗れ、多数の死傷者を出して黒河に逃れました。はがきの発信者もこの血なまぐさい事件に関わったかも知れません。
posted by GANさん at 23:15
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