2017年04月29日

野戦電報を軍事郵便配達

石家荘電報局-5.jpg日中戦争の初期、日本軍が占領していた河北省の要衝・石家荘に駐屯した主計(経理)士官に配達された電報です。

送達紙の右下部に応急調製されたらしい丸二型日付印「石家荘/電報局 13.6.11」(左書き)が押されています。昭和13(1938)年6月11日に受信・配達されたことを表します。

東京の中野野方町局で午前11時55分に受付けられ、石家荘で午后11時52分に受信されています。わずか半日で海を渡って大陸の戦地にまで届いた、とても早い電報と言えます。内容は弟か息子の進学・受験問題のようです。

届け先名がとても長いのも、この電報の特徴です。片仮名で64字もあり、本文27字の2倍をはるかに上回ります。漢字に直すと、「石家荘駐屯 北支派遣軍 下本部隊気付 海老名部隊 沢木部隊 主計少尉 笠原チヅル」です。「石家荘駐屯」以外は普通の軍事郵便アドレスと同じ表記法です。石家荘電報局-3.jpg

満州電信電話会社の送達紙に昭和年号の配達日付印(右図)が押されています。職員が撤退した中国電報局を接収し、満州電電に運営を委託した日本軍管理の臨時電報局でしょう。駐屯日本軍と在留邦人の日本文電報に限ったサービスだったと思われます。
石家荘電報局.jpg石家荘電報局-2.jpg
日中間を結ぶ電信は日中戦争以前から芝罘-大連間、青島-佐世保間、上海-長崎間の海底電線3線が敷設されていました。この電信は内地から佐世保経由で青島に送られ、青島で軍用電信線に接続されて石家荘に送られたようです。

配達に使われた封筒(左図)も残っていて、興味深いことに「市内軍事郵便」扱いになっています。部隊宛ては電報局で直接配達せず、軍事郵便に託す決まりだったのかも知れません。その場合は石家荘に開設されていた第82野戦局が扱ったとみられます。

片仮名で受信した宛先が封筒で漢字になっているのは職員の推測なので、最初の部隊名「下本」は誤りです。正しくは「下元」で、第108師団(師団長:下元熊弥中将)を表します。次の「海老名部隊」は師団を構成する4個の歩兵連隊の一つ、第132聯隊(連隊長:海老名栄一大佐)です。師団は日中戦争初期の「石家荘会戦」に参加し、同地に駐屯していました。

無料軍事郵便を差し出す権限のある軍衙(軍事官庁)扱いを受けていることから、この石家荘電報局は事実上の「野戦電信局」と言えそうです。38年8月以降、この局は日中合弁で新設された国策会社の華北電信電話会社に移管されて中国の石家荘電報電話局になりました。満州電電が扱った臨時電報は38年前半だけの短期運営と考えられます。
posted by GANさん at 23:42
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