2017年07月05日

病院船に託す日赤ルート

日赤02.jpg日赤01.jpgフィリピン(比島)に派遣された日本赤十字社の従軍看護婦に宛てた特別軍事航空往復はがきの返信です。つい最近のヤフオクで落札しました。

このはがきは航空料金往復無料の特別便で、軍属も利用できました。3銭レートで1944年(昭和19)5月12日に新潟・関山局が引き受けています。宛て先の「渡9766部隊」は第14軍に配属された第138兵站病院を表します。「317班」は医師・看護婦からなる日赤救護班チームの番号です。

はがきには、付箋をはがした形跡も「返戻」印や米軍押収印なども全くなく、キレイなものです。比島現地の名宛人に無事に届き、日本内地に持ち帰られたことを物語っています。

宛先のアドレス表記が類例を見ない特異さなのが目につきます。「横浜市山下町 日赤神奈川支部留置/比島派遣……」と書かれています。通常の軍事郵便アドレスは「派遣方面+部隊名」だけなのに、なぜ「日赤神奈川支部」と余計なものが付くのでしょうか。日赤独自のルートで確実に届けるためだった、とGANは考えます。

大戦末期の44年の段階では公用でもない限り、まして陸軍では航空便などまったく利用できなくなっていました。もちろん日赤が管理する航空機などもありません。しかし、敵国にも安全を保障された、氷川丸など一群の病院船がありました。運航権は陸海軍側ですが、スケジュールや乗務について、日赤は綿密な連絡協議を受けていたはずです。

となると、日赤が前線との通信にもこの希少で確実なルートを利用しない手はありません。病院船の連絡・発着港が横浜だったのでしょう。当時の日赤支部長は県知事が務めるのが慣例でした。これらの関係郵便物は神奈川県庁内の日赤支部に集められ、病院船の入港を待って搭載されたと考えられます。

通信文を読むと、「○○の由、一同喜こんでゐます」「南の国から母国迠遙かな波路一路平安なれ」などと書かれています。「○○」は「帰国」でしょう。当時はマリアナ方面で「絶対国防圏」が崩壊し、次は「比島決戦」必至として大本営で「捷1号作戦」が練られていました。激戦を前に、看護婦やタイピストなど女性軍属の優先帰国が配慮されたのかも知れません。

GANの推測に過ぎないこの「日赤ルート」は、まだ実証する資料がありません。しかし、この特異なアドレス表記は以上のような理解が最も合理的です。いずれにせよ、名宛て人は無事に帰国し、受け取っていたこのはがきを持ち帰ったと見られます。なお、本人が勤務していた第138兵站病院(飯田浩造病院長)は「レイテで玉砕」と記録されています。
posted by GANさん at 23:32
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